感想:映画『ワタシが私を見つけるまで』 「女の幸せ」との戦い

【製作:アメリカ合衆国 2016年公開(日本未公開)】


舞台はニューヨーク。就職を機にこの街にやってきたアリスは、「自分のしたいことができていないと感じるため、一度ひとりの期間を持ちたい」という理由から、大学で4年間付き合ったパートナーのジョシュと距離を置く。
しかし、ひと通りニューヨークでの生活を経験したのちにジョシュとの関係を再開しようとしたところ、彼はその期間に新しいパートナーを見つけたという。
自ら始めた「シングル」での暮らしだが、なかなか思い通りにはならず、アリスは試行錯誤する。
彼女の葛藤を軸に、それぞれ幸福を追い求める、パートナーのいない4人の女性の姿を描く作品。

原題『How to Be Single』が表すように、本作は現代の社会において女性が「ひとり」でいることの難しさをテーマとしている。
本作に登場する女性たちは、「特定のパートナーを持たなければならない」という内外からの抑圧の中にいる。この抑圧は結婚を幸福の条件あるいはステータスとする価値観から生じるものだ。

物語の主軸はアリスが様々な男性と関わりながら、パートナーがいなくても幸せでいられると確信を持つまでの物語である。
人当たりが良い彼女は、人付き合いにおいて器用なため、パートナーの求める女性像を再現することができる。そして、そのために自分自身のしたいことができないと常に感じている人物だ。
パートナーがいる状態をつくるために妥協したり、相手にとって都合の良い存在になるのではなく、自分を幸福にするための手段のひとつとしてパートナー(を持つこと)を捉える。
こうした価値観そのものは一般的になりつつあるとはいえ、現実にその姿勢を貫くことには困難が伴う。

アリスの姉で産婦人科医のメグは、結婚はしたくないが子どもを持ちたいという希望を叶えるべく精子バンクからの精子提供を受けて妊娠する。
メグの台詞からは、多忙な医者である彼女が、「収入やステータスの面で男性に勝ることなく、献身的」という「あるべき女性像」との葛藤の末に失望し、パートナーを持たない人生を志向したことが窺える。
そんなメグは妊娠後に一夜限りのつもりでセックスをした歳下の男性・ケンに好意を寄せられ、最終的には彼とともにに生きることを選ぶ。ケンは自分の社会的な立場や稼ぎがメグより大きく劣ることを意に介さず、精子バンクの提供で妊娠していると告げても「子ども好きだから嬉しい」と返し、子育て(家事)にも積極的である。ケンの言動がコメディタッチに、「突飛であるように」描かれていることから、現実の世界で彼のような男性が稀であることが逆説的に示される。

また、マッチングアプリで結婚相手を探すことに力を注ぐルーシーは、パートナー候補の自己紹介欄に書かれたステータスをExcel管理し、自分の求める条件に当てはまる相手を高精度で抽出しようとする。しかし、好条件の相手を見つけても、相手もまた「クリスマス休暇/バレンタインまでに別れればプレゼント代が浮く」といった「テクニック」を駆使し、恋愛をゲーム視するような人物であるなど上手くいかず、彼女は疲弊していく。
その結果、ルーシーはボランティアで行っている読み聞かせでプリンセスものの絵本を子ども達に掲げ、「女性が"プリンセス"であるためにどれほどのことを求められるか」を蕩々と説く。
彼女は女性がヒールを履き、無駄毛など生えないかのようにケアし、髪の毛を豊かに美しく見せなければならないことの理不尽をまくし立てる。これもコメディタッチではあるが、女性がいかにルッキズムに縛られているかを裏付けるシーンである。
そして、着飾ることを辞めて子どもの前で身につけた補正下着を引きちぎるルーシーの姿に惹かれた人物が現れ、彼女は予期せぬ形でパートナーと出会うことになる。

固定観念や偏見のしがらみから脱し、自分の真意を直視することで、ありのままの彼女たちを見てくれる相手と出会うという筋立ては寓話のようで、やや安直な印象を受けたが、本作のテーマのひとつである「女性へのステレオタイプの克服」の表現として機能していたように思う。

また、ルーシーのニューヨークでの友人であり、「ひとり」の生活を楽しむ上での相棒ともいえるロビンの描かれ方も画期的だった。
彼女は不特定多数の相手とセックスを楽しむ「奔放な」人物像であり、泥酔しては粗相をする、破天荒なキャラクターである。上記で求められるような「あるべき女性」の姿とはかなり乖離しており、フィクションでは登場しても表面的・記号的に扱われる傾向にあるといえる。
しかし、ロビンとの友人関係を維持することがアリスにとってのハッピーエンドの一側面であるように、本作ではロビンのような人物も「シングル」のひとりとして、他の登場人物と同様に(やや茶化してはいるが)描かれる。
ロビンが奔放であることについて、特別なバックボーンなどの描写はない。彼女が自分の意思で好きなように生きていると淡々と示されることは、「"最後のひとりを探して"多くの人とセックスを繰り返す」「"何らかのトラウマ的出来事があるから"奔放に振る舞う」、といったエクスキューズを排している点で意義があると思う。こうしたエクスキューズは女性への抑圧的なまなざしの表れだからだ。

全体的に「女性どうしの陰湿ないがみ合いの関係」「男性のことしか考えていない」といった、女性グループに対するバイアスを丁寧に取り除いていた。心理描写にはあまり尺が割かれておらず、アリスとロビンの友情やメグとルーシーのそれぞれの恋など終盤の顛末には唐突な印象もあったが、心の動きを描くというよりは定型の転倒に重きを置いた作品だと捉えたので個人的にはそれほど気にならなかった。
題材上性的な単語やジョークも頻出し、軽いタッチの映画だが、ルーシーがマッチングアプリを使う理由を解説するシーンでの同性愛への言及の仕方や、プラスサイズであるロビンの容姿を揶揄したシーンがないところなど、倫理的に抑えるところは抑えていたと感じる(ロビンについては「コメディ要員」であることは間違いないため判断が難しいのだが……)

登場人物のファッションをはじめ、視覚的に楽しい作品であり、アリスがアパートに入居し、「自分の城」を築くシーンはおしゃれな小物も相まってとてもワクワクした。作品の主題でもある「ひとりでいる時間の楽しさ」が巧みに演出されていたと思う。サントラも好きだった。

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