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白の実践

 光の粒で汚れてゆく窓辺で、ぼくは温められていました。朝の汀の太陽は、石の上にちいさな光を映して飛び跳ねているようであり、それでいて、じりじりとぼくの細胞を詰問していくようでもありました。斜向かいで揺れている梔子は黙していて、ほんの少しだけ哀しみの匂いがします。その向こう、揺らめく木陰の下できみは、清浄な水色のハンカチを振って、ぼくを呼んでいました。

 さらさらとしたぬくもりの中でぼくは、この目に写っているもの、そのはじまりを空想していました。それは多分、有と無の誕生なのでした。まだ宇宙という名前をつけるにはちいさくて、北風で吹き飛ばされてしまいそうなスケールの矛盾物ーー原始的な方法で分裂したそれは、どこかで見覚えがありました。受精卵。透明な膜が、ぷくりと膨れ上がって、ゆっくりとくびれていく運動。いきものに内在された、再現性の萌芽。右と左を決定的に分けてしまうもの、どこまでも普遍的で、それでいて確信めいているもの。認識されるとすれば、そのぐらいのイメージに帰着するもの。でも、どうしてもその透明な膜、有と無を分かつ薄い境界それ自体については、あらゆる言語の比喩的想像力を以ってしても、到達できずにおりました。それが現実のできごとならば、どちらかと言えば有であり、でも机上においてそれは、無のようなものでなくてはならないのではないか、という困難。空と海のあいだは物質的すぎるし、善と悪のあいだは概念的すぎるのです。限りなく中途半端な、どんな色欲でもなく、どんな形づくられるものでもない障害物が、そこには横たわっていました。

 ぼくは、すべからく無限に、斑らに脱色してゆく太陽の光のすじを浴びながら、きみのひとみが、白とも黒ともいいがたい、美しいグレーだったことに気が付きました。ぼくはそれを、それだけを慈しんでいたいと思います。きっとそれは、ぼくに赦されている唯一の、白い行為なんだよと、限りなく中途半端なものが、消え入りそうな声で訴えていました。そして木陰は、ぼくの認識の前になすすべもなく、きみのひとみを、しっとりと濡らしてゆきました。

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