良いもの、豪華なもの、が好き、とは限らない
自分が感じた最初の違和感は、
むかしネオジオCDのソフトを買って遊んだとき、
ゲームセンター(ネオジオ)では当然コンピュータで鳴らしているゲームの音楽だな、という感じの曲が流れてるところを
CD音源が使えるということで生演奏?の曲に差し替えられていた。
ゲームの機械の機能の制限、から解放されて「なんでも思うままの音楽」が鳴らせるようになった結果、
作曲している人がいちばん好きな音楽性の曲を、入れたような、
生演奏だ、ギターソロだ、コーラスだ、オーケストラだ、とたしかに、音源的には豪華になっているのであろう、、、
高級感があるのだろう、、、、、、
でも、、、、なんか、、、、、、ゲームに合わないなあ、、、、、
ゲームセンターの音楽をそのまま入れてほしかったなあ、、、、
ゲームの容量という制限から解放された作曲者が
本当に表現したかったのはコッチだったのか。。。。??
と残念に思ってた。
「技術が進歩して豪華な演奏になったんだから良い物に違いない、」
と子供ながらに自分に言い聞かせて、
BGM切り替えモードとかもなかったからモヤモヤしながら遊んでた。(読み込みの遅さ云々の話はここでは別)
ゲームセンターで鳴ってるBGMの方が
ゴリゴリ鳴っててカッコイイし、ゲームに合ってるし、
ゲームBGMってやっぱりこうでなくちゃ、と思うし
てか曲自体が相当いい。
何なら2024年の今でもYoutubeでちょくちょく聴きに行ってる。
新世界楽曲雑技団というレジェンド(余談)
BGMとかにかぎらず似たようなケースはよくあるのだろう。
リメイクで技術も進歩し、豪華になったはず、なのに
なんかしっくりこない。。。最初のがよかった。。。
そこは盛らなくてよかった。。。etc
それは思い入れ補正もあるだろうし
逆にとうぜん進歩して快適になったことも多いだろうし
その不便ゆえの苦労やチープさゆえの味わい、
とかでさえも「思い入れ」「好き」要素になりうるから
人間の「好き」って、とても複雑な要素が混ざり合うものなんだなあと。