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22_「そして、まことに父がエルサレムを去ってから六百年後に、主なる神はユダヤ人の中に一人の預言者すなわちメシヤ、言い換えれば、世の救い主を立てられる。」(1ニーファイ10:4)

ここでニーファイは、リーハイが将来のメシヤ(世の救い主)について話したことに言及しています。メシヤについて次のように書かれています。

「油注がれた者」の意のアラム語とヘブライ語の一形態。『新約聖書』でイエスはキリストと呼ばれているが,これはメシヤに相当するギリシャ語である。その意味は油注がれた預言者,祭司,王,救い主であり,ユダヤ人はその訪れを熱望していた」

(聖句ガイド 「メシヤ」の項)

リーハイも預言者として、また、家族の長として、家族に世の救い主であるメシヤをいつも心の中心におき、覚えておいてほしいと度々力を込めて語っています。 

当時、ユダヤ人たちは、将来自分たちを救ってくれるメシヤを持ち望んでいました。そのため、ユダヤ人は現在に至るまで、毎日の生活の中でいつもメシヤを覚えて、忘れないようにする工夫をたくさんしていました。 

例えば、以下の図のようなフィラクテリーは、その代表的なものの一つです。

Source: Jewish Virtual Library

「フィラクテリー(Phylactery)とは、ユダヤ教の宗教的慣習において、羊皮紙に書かれた律法のテキストが入った2つの小さな黒い革製の立方体型のケースのうちの1つで、申命記6:8(および申命記11:18、出エジプト記13:9、16にも同様の記述がある)に従い、13歳以上のユダヤ人男性が、日常生活の中で神と律法を守る義務を思い起こさせるものとして身につけるものである。フィラクテリーという名前は、お守りを意味するギリシャ語のフィラクテリオン(phylakterion)に由来する。

ラビの規定によると、フィラクテリーの片方は、朝の礼拝(安息日と祝祭日を除く)とアヴの9日の午後の礼拝で、心臓に向かう腕(右利きの場合は左腕、左利きの場合は右腕)に、もう片方は額に着ける。 

これらのフィラクティは、shin、daleth、yodの文字を表すように決められた方法で着用される。手のフィラクティ(テフィリン・シェル・ヤド)には1枚の羊皮紙に書かれたテキストが1つずつ、頭のフィラクティ(テフィリン・シェル・ロシュ)には4つの仕切りがあり、それぞれに1つのテキストが書かれている。出エジプト記13:1-10、11-16、申命記6:4-9、11:13-21が抜粋されている。」

(The Editors of Encyclopaedia Britannica, “Phylactery”)

現在、私たちはユダヤ人のようにフィラクティは身につけませんが、毎日、聖文を読んだり、毎週、聖餐をいただいたりすることによって、いつも主に心を向けて忘れないようにしています。ちなみに、わたしは、iPadの待受画面に復活後のイエス様の掌の写真を入れて毎日見ています。また、ある人はCTRリングをしたり、家にイエス様や神殿の絵を飾ったりされています。


*あなたは「主をいつも覚える」ためにどのような工夫をされていますか?


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