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32_「…すべての聖文を自分たちに当てはめて、それが自分たちの利益となり、知識となるようにするためであった。」(1ニーファイ19:23)

聖文はずっと昔に書かれたものなので、今日のわたしたちには関係がないように思えるかもしれません。しかし、ニーファイはそうではないことを知っていました。ニーファイが真鍮の版からイザヤの言葉を多く引用したことの理由の一つと言えます。ニーファイはイザヤの言葉から大きな霊的な力を見いだし、自らの信仰を強めていきました。
 
また、イエス様はこのように教えておられます。「わたしにむかって『主よ,主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイ7:21)福音や聖文を知っているだけでは不十分です。わたしたちは学んだ福音や聖文に従って生活することによってイエス様に近づいて、イエス様のような特質を身につけることができるのです。
 
ニーファイが語っているように、聖典の物語や聖句の中から原則や教義を見つけ、自分たちの生活でどのように応用できるのか、当てはめて考える必要があります。そうすると、そこに述べられている原則や教義を学び、理解して自分の生活に当てはめて考えることによって、今自分が直面している毎日の生活の中の問題への答えを見いだすことができます。
 
わたしはしばしば「どうしてこの出来事がモルモン書に記録されているのだろうか?」,「イエス様のよい弟子となるために、この物語からどのようなことが学べるだろうか」と自問します。
 
物語に出てくる聖句の人の名前を自分の名前に置き換えてみることも大きな助けとなります。聖句に登場する人物を頭の中で自分に置きかえてみるとより現実味を帯びて、自分だったらどうするだろうと、深く考えることができます。そうすると、主がわたし個人に語っておられることに気づき、聖文を自分に当てはめることができるようになります。
 
また、聖典の物語の中から、目をひく聖句や鍵となる言葉などに注意して物語を読むことによって、自分の生活との関係について深く思い描くこともできます。
 
教会が制作している『モルモン書ビデオ・プレゼンテーション』も大きな助けになります。聖文を読む場合は、一場面の聖句としてか捉えられなくても、映像としてみることによって、その場面を多面的にみることができますので、さまざまな思いを巡らせることができます。

アイリング管長は、聖文を自分たちに当てはめることについて次のように語っておられます。

「…何を行うべきかを知るために聖文に頼ることで、すべてが変わってきます。主が教えてくださるのです。…人生の中で問題に遭遇したときは、具体的な助けを得るために聖文を探るべきです。聖文の中に答えを見いだすことでしょう。主はわたしたちのあらゆる問題やあらゆる必要を予期しておられたようで、わたしたちにとって助けとなる事柄を聖文に込めてくださいました。」

(ヘンリー・B・アイリング「聖文研究について語る」『リアホナ』2005年7月号,p.8)

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