【ミニ情報:「祭司」と「教師」】
ニーファイは、自ら民のために力を尽くしただけではなく、弟の「ヤコブとヨセフを任じ、…民の…祭司と教師に」(5:26)召し、彼らにも民のために働くように機会を与えました。
「祭司」「教師」という職務の名前から、モーセの時代のアロン神権を思いつかれた方も多いことでしょう。モーセの時代のアロン神権(レビ8-9章、民数3:38)とレビ神権(民数3:25, 31-32, 36; 8:15-19)は、もともとアロンとアロンの息子たち、レビ族の息子たちの任職でした。この神権を持つことができたのは、アロンとその息子たちの血統、レビ族の息子たちの血統だけでした。
しかし、リーハイはマナセの子孫でしたし、イシマエルはエフライムの子孫でした。そして、リーハイの一行には、アロンやレビの子孫は誰一人としていませんでした。ということは、ヤコブやヨセフの任じられた「祭司」「教師」とは、アロンやアロンの息子たちの召された職務やレビ族の息子たちが召された職務ではないことがわかります。
また、ここで興味深い記述を英文の聖典から見つけることができます。この「祭司」「教師」の部分が、”priests and teachers” と複数形で書かれているのです。「祭司」と「教師」という複数形の用語が使われていることから、これはアロンやアロンの息子たちの召された職務やレビ族の息子たちが召された職務を指しているのではなく、人々を教え、指導し、訓戒する一般的な任務であったと思われます。そうでなければ、祭司と教師は単数形で呼ばれたはずです。
ジョン・W・ウェルチも次のように述べています。
また、ヤコブも、自分自身について「神から召され,神の聖なる位に従って聖任され…わたしの兄ニーファイによって任じられた」(2ニーファイ6:2)と述べています。ヤコブがこの神権への聖任を「聖なる位」と言っているのは、これがメルキゼデク神権だからといえます。
それについて、ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は、次のように書いておられます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?