21_「…この版…はわたしの民の歴史を残らず述べる版では決してない。わたしの民について残らず述べる版には、ニーファイという名を付けておいた。したがって、それはわたしの名にちなんでニーファイの版と呼ぶが、この版もまたニーファイの版と呼ぶ。…主はある賢明な目的のために、わたしにこの版を造るように命じられた…」(1ニーファイ9:2, 6)
ニーファイは、主から命じられて、以下のような2種類の版をつくりました。民に対する務めについて記録する「ニーファイの小版」と、王の統治と民の戦争や争いについて記録する「ニーファイの大版」です。そして、この2つの版は、ニーファイ以降の記録者に代々引き継がれ、それぞれの記録者は、自分の時代の記録を追加していきました。
ニーファイの作った2つの版について『インスティテュート:生徒用資料』には次のように説明されています。
この2つの版が作られたのは、ニーファイが述べている「賢明な目的」がありました。この「賢明な目的」については後日詳しく説明したいと思います。
この部分の聖句を読むといつも思い出す話があります。
わたしが25歳の時、ソルトレーク神殿で結婚式を挙げたのですが、その時にわたしの伝道中の同僚が、教会本部に連れて行ってくれました。1階の受付から電話でキンボール大管長に電話してくれました。実は、彼はキンボール大管長のお孫さんで、すぐに大管長の執務室にいくことができました。部屋に入るとすぐの壁面に本棚があり、ちょっと大きめの黒っぽい表紙をした本がずらっと並んでいました。大管長はその本を示しながら「これは、わたしが教会幹部に召されてからの日記(journal)です。」とおっしゃいました。キンボール大管長が十二使徒に召されたのが1943年ですから、33年分の日記でした。「この日記(journal)は、わたしが死んだら教会に寄付されます。」というような意味のことを話されて、ニコッと笑って優しく日記を書くことの大切さを話してくださいました。
スペンサー・W・キンボール大管長の言葉
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