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17_「…母はこのような言葉で父に不平を言っていた…」(1ニーファイ53節)

この箇所は、よい対人関係を持つために非常に大切な教訓を学ぶことができます。リーハイとその家族は主の命令によってエルサレムをあとにしましたが、息子たちはラバンの真鍮の版を手に入れるために再びエルサレムに戻っていきました。

しかし、なかなか、息子達は戻ってきませんでした。父親も母親も非常に心配をし、心を痛めていましたが(Ⅰニーファイ 5章6-7参照)、母親のサライアは耐え切れずについに夫に向かって不平を漏らしました。しかし、それは納得できることでした。というのは、母親はずいぶん長い間息子に会っていませんでしたし、彼らの身の上を非常に心配していたからです。また、特にエルサレムに残してきたものを思うと、荒野での生活はこの上なく惨めなものだったからです。

 彼女は夫に対して次の3つの不平を漏らしました。
❶夫が「幻を見る人」であること
❷「受け継ぎの地」を失い、「荒れ野で死んでしまう」かもしれないこと
❸なによりも息子たちが「死んでしまった」のではないかという不安
などでした。(Ⅰニーファイ 5章2参照)

 このような不平は大きな争いに発展していくことも考えられます。リーハイは自分のとった行動を弁護し、サライアに対して不満をぶつけることもできたかもしれません。しかし、リーハイは彼女に慰めの言葉をもって応えました。

①    まず、彼は自分が「幻を見る人」であることを認めました。
②    それから彼は、真鍮の版を取りに息子たちを送り出したのは主の命令に従ってそうしたことを彼女に再認識させ、主が常に彼らを導いてくださっていること、
③    そして主は自分たちがあとにしてきた所よりも更に大いなる受け継ぎの地を約束してくださっていることを話し、そのままエルサレムにとどまっていたら皆滅んでしまうであろうこと、主が必ず息子たちを守ってくださることを話し、
④    そして慰めを与えたのです。

 つまり、この箇所はわたしたちに、誰かが不平を言ってきた場合、それを受けた側は弁解したり責め返したりせずに、慰めの言葉をもって応えるべきであると教えています。多くの場合、人が不平を漏らすのは慰めを得たいからなのです。 


*すべての家庭や会社、学校、地域社会や教会でこの簡単な原則が応用されるならば、たとえ両者の間に意見の食い違いが生じても、お互いが自己弁護をするのではなく、慰めと理解を持って問題を解決して平和な環境をつくりだしていくことができるはずです。この方法は確かに効果があります。わたしたちが周囲の人々に慰めの言葉をかけると、その人々もまた同じ慰めの言葉で応えてくれます。

 

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