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well-beingとゆとりと自信

最近流行りのwell-being。

意味は幸せとかそういうもののようだ

そもそも英語なので日本語にあてがうのも難しいようで

解釈はその時々によって変わるものと考えるのが妥当だ

さて、その中に自分は『満ち溢れる』という言葉が目に止まった

満ち溢れること、満足というものかどうかはわからないが。

全ての事柄、事象において満ち溢れるということ=幸せ、と。
自分は目標を現在全て達成している
開業し(17年目)
家族、子供がいて(1姫2太郎という昔ながらの言われているやつ)
マイホームを買い
問題ない生活を送っている

ように思えるが、これはゆとりではなく、自信でもない

でも勘違いしている人もいるに違いないし、自分も勘違いして今日まで生きてきた気がする

満ち溢れているのは結果であってこれからのものではなく、これからはそれを維持していくことや変換すること、また流動的であることの理解をすること

例えば、成功している事業があったとしてもそれが崩れた場合、途端にこの満ち溢れているものは穴が開くのだ

重要なのは柔軟性や可逆性であることの理解である

小学生の頃でいえば誰々ちゃんは必ず朝玄関のピンポンを押して一緒に行ってくれるという意識
これはその子との生活が満ち溢れているという自己満でありそこからゆとりやきてくれるだろうという自信につながる

でも満ち溢れているというのは利己であり利他ではない

満ち溢れているというのは利己であればそれは崩れやすく、利他であれば維持しやすいものと考える

人のために

それはゆとりでもなく自信という言葉で自分から発言するものでもなく

他者から評価される言葉ではないかと思う、自分から発してはいけない言葉

『俺、自信あるから』『俺ゆとりあるから問題ないし』

と書いているだけで虫唾が湧く

満ち溢れていることは感情や本能と言われる脳から発すること利己で、自信やゆとりは他者からの評価で利他であるほど評価される気がする

ただ、利他は妬み、そげみ、やっかみなど相手のマインドが落ちている時にはそうは思われないが、そもそもそんな人と交流は持たない方が良い

自分のwell-beingがなくなるからだ

利己であれ


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