eijirobonesetter
久しぶりの投稿 もうすぐ整骨院を開業して17年が経つ そろそろコンセプトが決まってきた(だいぶ遅いが)というのもやはり他と比較した時に羨ましく思えない自分がそこにいて、俺はこういう仕事をしたいという気持ち、いわゆる軸がブレなくなってきた それは『外傷、障害』を改善すること 例えば、腰痛、肩凝り、頭痛や変形性関節症など改善できるものもあるがそこに特化してガッチリやりたいか!と言われればそんなこともない 呼吸やトレーニング、ヨガや運動療法などもかなりやってきているがそれを
最近流行りのwell-being。 意味は幸せとかそういうもののようだ そもそも英語なので日本語にあてがうのも難しいようで 解釈はその時々によって変わるものと考えるのが妥当だ さて、その中に自分は『満ち溢れる』という言葉が目に止まった 満ち溢れること、満足というものかどうかはわからないが。 全ての事柄、事象において満ち溢れるということ=幸せ、と。 自分は目標を現在全て達成している 開業し(17年目) 家族、子供がいて(1姫2太郎という昔ながらの言われているやつ)
私は開業は別にしたかったわけではなくて、夢でもなく ただ、馬鹿にされたからやっただけ 『お前なんかに開業なんかできるわけがない』と ただ、時期は30歳くらいが良いだろうと まだ仲が良かった時に伝えてもらっていた そういう事はよく頭の中に残っている 視覚人間ではなく、聴覚人間なので 人から言われる事はよく覚えている 開業は夢ではなく、ただ反骨心でやっただけだが それが苦労の始まりで 自分が楽な道のりを歩みたかったはずなのに とてつもない道を選んだのだ 借
視覚で物事を判断することが多いことは大体の人はわかるはず だから、油断とか楽勝とか 相手の姿を見て、仕草を見て判断することも多い 格闘技やサッカーをこよなく愛する自分からすれば 会見で吠えてる人よりも なんかこいつ弱いんじゃねぇ?みたいな仕草をしている方が 相手の視覚から入っていて、そして脳裏にその残像が残るような気もしなくはない サッカーでもそういう場面が、あるかと言われるとあまり見たことはないが さて、自分の近くに足や手があることによって力が出やすい、入り
明けましておめでとうございます。 2023は少しでも皆さんの心や感性、感情に伝わるようなことを投稿できたらいいなと思います 昨年、年末のスキーに行ってきました、娘の保育園の同期15世帯が一同に集まって行ったスキー。昨年は初級コースでありながらも心が折れ、ほとんどスキーを滑らなかった ただ、今年はリベンジしたいと計画の段階で参加を決意し、親もそれを期待していた 初日、本人やる気満々。早速リフトに乗り昨年滑れなかったコースを転びながらも滑走。親としてはとても嬉しかった。 が、
通ったといっても毎日ではないですよ 定期的に、当院に通っていただけた方です。 当院には昔の方には馴染みのある『ヘルストロン』というものがあります。 これに乗ると、頭痛、肩こり、不眠症、慢性便秘。というのが改善されていくようです。 何人もの方が定期的に乗っては引っ越しをされて乗れなくなったり、離脱したりと多くの方にそれなりのサポートをしてくれていました。 今回の方も親のことで地元に帰るという理由でお引っ越しをされるそうです。 人も環境で、定期的にきていただいた方がいな
16、7年前、先輩のサッカーの練習を手伝うために近くの高校へスパイクを持ってノーアップで中学生と1対1をした際に左に移動しようとしたらスパイクが土に引っかかりガクッといって、その場で5分動けなかったがその後、膝がぐらぐらいいながらでも歩いて当時は実家暮らしなので徒歩で帰る。 その後、当時勤めていた整形外科で前十字靭帯の損傷でしょうと言われ、理事長にどこでオペしたいか聞かれ、高校時代恩師から怪我をしたら関東労災病院行けと言われたのでそこを希望したら、当時スポーツ整形外科部長
社会において 少数派意見いわゆるマイノリティは 独自性が高く 特殊と言われ 奇人変人と時には 言われる時代もあった ただ、マジョリティという多数意見は 保守派であり、身の保身を第一に考える傾向が強い なぜなら ハブられたくないからだ 一人で道を切り開くことよりも 周りに認められることの方が優先なのだ ただ、マイノリティの意見に妬みや嫉み、茶々を入れる人は 大抵自分の意見を持たず、ただ多数派の意見に流されていて少数派意見を偏見という塊で見下すだけの柔軟性のない人で
明けましておめでとうございます。 新年初noteになります 整骨院、接骨院業界にいてもう20年が経ちました 昔からのやり方が嫌いで、この業界から身を引くことを免許をとった時に考えていて その後整形外科に勤め、悠々自適の生活を送っていた でも、自分の中で『お前なんかに開業なんかできるわけがない』 という言葉が反骨精神を沸々とたぎらせ 15年前に開業 苦しさしかないくらい、安定感とはなんなのか そう思わせる生活が常に続いていた そもそも整骨院というところはなん
通うことが当たり前のご時世 もちろん、酷い怪我などは必要かもしれない 『安いから』 『近いから』 といって、通う でも、痛みの改善が見られない では、多少遠いけど通う 『安いから』 『周りが良いっていうから』 でも、改善がみられない 皆さんは 通っている時間の価値を考えたことありますか? 例えば学生ならば 時給1100円として 通う時間と治療時間を換算してみよう 果たしてそれは積み上げた場合いくらになるのか? 『いや、あなたの怪我は時間がかかる
久しぶりにセミナーを受けた 少人数でとてもわかりやすいセミナーだった そのセミナー終了して、翌日 患者さんに施術をする 効果はそれなりに出た あとは経験を積んでいくだけだ とごく当たり前なことなのだが これが 語学になると そうもいかない そして この過程は どの分野にも言えるものだと気づく ただ、思うのは その勉強や技術などを学ぶ環境が整っていないと 身になりにくいのだということだ 例えば、否定的な人 貶す人や、罵る人 すぐ上手くなるわけ
引き出しを増やすとか バリエーションを増やすとか 多くのセミナーを受けてきた ただ、自分の心持ちというか その人の気持ち次第なのだが 自分の中では それが一つの武器(軸)として考えてしまうのだ というのも、リスペクトし過ぎてしまい 自分の強みやそもそもあった軸が細くなるのだ 結果、軸が増えるため、その軸の安定感がなくなり 倒れたり、そもそも回すことが無くなる 結果、何をしていいかわからなくなる カオスになっても、光が見えていれば突き進むことはできるが
前日の雨が嘘のよう 快晴でに恵まれ、我が家は初のデイキャンプ🏕 強風のためテントは途中で撤収、川の水の増水と川の流れが早いため川遊びも中止 楽しむものが少し制限されましたが、それでも楽しいことは多々あり(子どもは最後に川の流れが収まってたので遊んでましたが) 6年前から、多くのセミナーに毎年参加し数多くのインプットをしてきました よく聞くのが『パソコンの機能を全て使えますか』って聞くと大抵の人が多くを使えないと 答えるだろう 自分が受けたセミナーも年々リニューアル
以前のnoteで 偽善の解釈が変わってきたことをお伝えした この偽善は 相手が自分に対して思う感情表現及び 他者評価 と考える そうなると 他者評価を気にしない、または気にしなくなった自分にとって 信じてもらえている患者さんに対して、頑張ろうと思う ただ、他者評価を気にするとかしないとかではなく こちらは良いことをしていると思っているのに それが相手からは偽りと思われてしまう 相手を変えることよりも これは自分の行動の変化が必要なんだと考えた方が早い
2020 コロナによる生活の激変 変わったのは 心 今までいろんな物や事をインプットし 自分が変わる事、見直すことに力を注いできたように思う 自分を否定することなのか はたまた リニューアルや リノベーションなのか ある人からのアドバイスで 2021はこのようにした方がいいよ 人に言われてすぐに「こうだ!!」 ってすぐ動けない むしろ 「俺はこうだから」 って自分から動き始め 失敗することが多々ある 先走る、フライングというやつだ ただ、
朝 自分が2年間と少しサポートをしていた 安彦考真さんがVOICYをやっているので いつもは車で聞くのだが、リビングで聞いていた 「ファン」「サポーター」 この部分に自分は自分の仕事と照らし合わせてみた ファンは個人につく、いわゆる先生個人につく患者 サポーターはお店につく人、患者、クライアント サポーターの心理として、大体の人がこうではないと思う。来院理由として 「自分の家の近くにあるから」「通り道にあるから」 ここで言うサポーター(近隣の患者)はそのお