行雲流水(こううんりゅうすい)
先日、急に書道がしたくなった。
子供が小学生だった時に使っていた
書道セットを引っ張り出して、
墨汁を使わずにゆっくり墨をすった。
「行雲流水」こううんりゅうすい
空を流れゆく雲と、川を流れる水の
ように執着することなく物に応じ、
事に従って行動すること。
そんな姿でいたいと願いを込めて
書にしたためた。
私が願望を口にする事は、
ほとんどない。
願望を叶えたい自分に対して、
相反する思い込みがストップをかける。
そんなチグハグさが気持ちが悪かった。
願望成就を夢見るより、自分に向き
合って、必要な思い込みを少しずつ
外すしかないと思っていた。
今回は突き動かされるように
願望を文字にしていた。
ストップかける思い込みを本当に
手放したいのなら…
意識、言動、行動を変える必要がある。
それを覚悟するタイミングだと、
促されたのだと思う。
意思を伝えると、次のステップの
「魂の成長の試練」はすぐに来た。
最近では落ち着いてきた夫が、
流せるような瑣末なことに激昂していた。
理不尽なことを怒鳴り散らすのは
過去の夫だけじゃなく義父母も同じだ。
結婚してからの試練だった。
怖くて泣いたり、
同じように怒鳴ってしまったり、
その時々の私なりに手を尽くしていた。
戦いの後は、お互いに静かになるけど、
感情が荒ぶれば、また。
ずっと繰り返していた。
今、思えば少しは成長していた。
螺旋階段を上がるように、
回転しながらゆっくりと。
一つずつ試したら、こうして文字に
起こして頭で整理する。
頭と感覚の同時に腑に落とさなければ
前に進めない。
私はどんなことも不器用で、一足飛びに
上がれないだけだ。
戦いの果てに、仲良くなれる気がして
いた。
色々試すと、自分自身も見えてくる。
愚かさも、ズルさも、頑固さも
相手と同じように自分にもある。
自分のネガティブな面を許すように
相手を許したいと思えるようになった。
相手や自分を許すことができる境地に
早くなりたかったのかもしれない。
でも、もがいた結果ね。
夫の、自分の妻に対する考え方や、
態度を許せない。
そんな態度の人に対して、優しくしたく
ない…。
これが私の本心だった。
私は、自分が認識するよりも
深く傷ついていた。
それでも、相手を傷つけないように
生きていた。
優しくされたかったのね。
愛されてると信じたかったし…。
でも、夫も同じ。
拗れた中で、私は夫を傷つけたらしい。
傷つけられたことを恨んでいるし、
そんな私に優しくする気もない。
優しくとか、思いやりもわからないと
言っていた。
お互い合わせ鏡のように見せていた。
魂の試練の試験官は夫ではない。
私自身だということが、腑に落ちたの。
感情の揺れや、鏡のように見せる夫は
本来の自分「真我に戻るため」の
きっかけを与えてるだけ。
今まで当たり前にしていた意識、
言動、行動では自分が掲げた願望には
辿り着けないけど…
どう行動や言動を変えるの?
それが魂の試練。
願望を自分の手で実現したなら、
それが魂の成長。
たまたま巡りあった「行雲流水」
感情や気分は、水や雲のように
止まる事なく流れている。
静かな時も、荒ぶる時もある。
それに執着することなく、淡々と過ごす。
少しづつ理想の自分に近づけますように。