最初に言葉ありき…だけどね。
『最初に言葉ありき、
気持ちが入っていなくても
「ありがとう」を先に言おう』
そんなメッセージを半信半疑で
試したこともあった。
「ありがとう」
「感謝してます」
言葉を唱えると、相反する感情が
暴れた。
「もう、良い人でいたくない」
「相手の都合に振り回されたくない!」
思考が強すぎたのだろうか?
心底抵抗があった。
ただ言葉を唱えるだけ。
簡単なようで、なぜか私には難易度が
高かったのだ。
理不尽なことをし続けていた人と
毎日顔を合わせる。
お互いが我慢しているだけで、
有り難いなんて心底思えない。
過去の災難も、理不尽な扱いも、
現在の煩わしい瑣末な出来事だって
それを通らなければ、今の自分
には至らないと頭ではわかっていた。
許すことができない自分を、
どこかで責めていたのかもしれない。
義父が亡くなり、エネルギーが
消えた。
こだわって許せなかったのは
自分だけじゃなかった。
お互いが同調のエネルギーの中で
居心地が悪いと感じながら暮らしていた。
自分のエネルギーだけじゃない…
そのことに安堵した。
そこからやっと「ありがとう」を
唱えることができるようになった。
ずべての出来事、モノ、存在に対し
てジワジワと感謝が湧き上がって
きた。
人それぞれにあったタイミング
があるんだ。
過去の私を含め、多くの人は
足りないものに目を向けて、
より良くなることを追い求めて
しまう。
すでに在るものは、当たり前過ぎて
目が向かない。
どんな存在、どんな状況にも有り難い
と心から思えたなら、義父母や義姉は
生きているうちに克服できたかもし
れない。
でもそれは並大抵のことじゃない。
私達は、周りによって影響され
ながら循環をしている一つに過ぎ
ない。
それは人体の細胞のように、とても
小さいけれど確かな光。
自分のエネルギーを伝搬させながら、
周りにも影響を与える。
自分の意思を押し通そうとしたり、
周りを自分の波長に合わせたり、
自分が無理やり合わせたり…
そんな無理強いをしなくても、
神(流れ)に身を任せていれば良かっ
たのだろう。
感謝をするようになって
自我が薄れてゆく。
エゴの思考が湧かない世界。
本質に近づくためのヒントが
毎日用意される。
気づきの連続だ。