いじめを受ける原因はあいまいな態度【解決策=実験あるのみ】
こんにちはユウキです。
先日こういうツイートをしました。
✔️本記事の内容
いじめられる方法:自分の立場を主張しない
決めるのは相手の判断:思い込みはゴミ
アダルトチルドレン:「限界を見る」ことをしなかった
■あいまいな態度の例【5選】
1.自分の立場を主張しない
2.経験不足による不適切な発言
3.発言の責任を果たさない
4.誹謗中傷をした
5.不要な人間関係
1.自分の立場を主張しない
これがすべてといっていい。自分で「生き方」を決めてこなかったことが原因である。
「生き方」を決めるうえでまず衝突するのは親兄弟であり、交渉事は避けられない。
自分の立場を主張することが外交の始まりである
これは、
私交渉はようやらんから
ごめんな~来れなくて
これこれ、この車の傷見て
も同じである。
立場が弱く、気が小さくても、「したくないことをさせる」ための世渡りテクのように見えるのは、単に勉強不足、自己投資の不足である。
腹が立つなら思い浮かべてみるといい。
言いなりになることで安心してきましたね
「誠意を見せる」とは、
相手の望むことをすべて果たすために行動をする
ことであり、選択としては、最も選びやすいのである。親に、教師に、上司に、姑に、舅に、姉に、兄に、弟に、妹にしてきただけであり、これは、繰り返しであるが、
自分の立場を明確な言葉にして伝えてこなかった自分の責任である。
2.経験不足による不適切な発言
これもあるある。自分の店で「ブラック企業」とか口走るやからにものを売りたいと思うのか。いまは、保身や抜け駆け、生活防衛を選ぶ方が手っ取り早いので静かであるが、60年ほど前は「文句があるなら出ていけ」と怒鳴りつける店主が普通であった。半分田舎の僕が住んでいる町でも30年前はまだギリで存在した。
そんな何とかやり直したり、「何に怒ったのか」と考えるきっかけを作ってくれる人を、とにかく謝ってやり過ごしながら、悪者にしてきたきたツケが今のクレーマー社会なのである。
3.発言の責任を果たさない
これは「どうぞお生きを」に尽きる。「私に迷惑をかけないでほしい」とか公言する奴ほど迷惑である。大学病院での制度を使おうが、所詮は飼いならした格下のわが子に対して勝ち逃げができ、なおかつ責任逃れ、死に逃げである。
高校3年生秋、文化祭の準備期間中のことである。僕は失敗をした。
場所は体育館にある舞台の控室でのことである。好きな人がたまたま近くにきていた。僕は見栄を張って、「手伝おうか」と声をかけた。
彼女は「うん」とうなずいた。それはそうだ、「いきなり無下に」というわけにもいかないが故の社交辞令に過ぎない。ところが、僕はいつまでも行こうとしなかった。うんざりしたのか、自分から行ってしまった。当然そこから彼女から避けられつづけた。もちろん嫌われて終わった。
全く余計なお世話である。当時の僕と違ってみんな自分のことは自分でできるのである。当時の僕は「他人のことを気遣う」というながらも、その実は「思い通りにいかなかったときの人の反応に対してどうすればいいのかわからなかった」のであることを見ないようにして、また見えないと思い込んでいたかったのである。
これは上記の「1.自分の立場を主張しない」と同じである。まとめると、
「好き」だと最初に言わない
「わかってくれる」という思い込み
そんなことはない。
これは単なる「見下し」である。人を舐めてかかっているのである。
4.誹謗中傷をした
「逝ってよし」である。疲れる。これこそ迷惑である。
因みに、「見てこなかった」も含まれる。
天理大学での手話での講義から借りることにする。その講師は15歳に交通事故に遭い、それ以来、彼はずっと車いすとともに人生を歩んでいます(年齢が年齢なので存命かどうかは今は不明)。
その中で最も刺さった話が、彼のある日の歩道でのエピソードである。なんと警官から、「車に乗っているのだから車道を走れ」と言われただけでなく、本当に車道に下ろされたのである。
ここで大切なことは、僕たちはつらい思いをしている人を何にも思っていないことだ。良くても風景であり、「競争で負けた者はいない人になる」ことが普通であり、またいつまでもそうしていられると思っていることである。
実際に誹謗中傷はしていなくても格差を望み、競争を利用して自分を育てる今の時代に生きているなら何人たりとも例外ではない。「平等な社会」を望む人に限って、その「平等」の中身である、
一番底辺の人と同じになるために自分を下げる
ことは一切しない。
実際には要領でかわしているだけで誹謗中傷なのである。
「今ごろお気づきになったのですか」と言われれば、「おおきに」としか言いようがないのだ。
5.不要な人間関係
突然だが、ワルとの付き合いを言及したり、それらしい単語を出されたときにあなたはどう思うか。
単純に、近寄りたくない。
「伝染さないでください」のひと言に尽きる。
これはそもそも、親も含めた他人の暴力をいつまでも利用して、その内容を聞かせたときの反応を見ながら面白がっているのである。
この「反応を見ながら面白がる」というのがポイントで、
繰り返しであるが、ワルとの付き合いをほのめかすような輩は、実のところ、
「やりたいこと」以外は一切しない、責任を果たさない世渡り上手
であり、万が一のとき利用価値があれば、甘い汁だけかすめ取り、そうでなければ使い捨てるのだ。
この場合は自分から風景になって、関わらないようにすることが一番いい。
自分さえ平安であればそれでいいのだから。
■決めるのは相手の判断【5つある】
一方で、「はっきりとした態度」と何ぞや?という話になるのだが、これも上記の「自分の立場を明確に主張する」となる。その行動基準は次の5つである。
1.「したいこと」をしない
2.メンツはゴミ
3.思い込みを捨てる
4.安心と安定
5.等しく生身の人間
1.「したいこと」をしない
ひとこと訊く。「それ売れますか?」もっと言うと、「お前買いたいの?」である。
ないならやめよう。
2.メンツはゴミ
見栄は要らない。今すぐ捨てよう。むしろ使い物なったことは一度だってないはず。
3.思い込みを捨てる
「良かれと思って」。自分が何言ったのかよく考えましょう。
いいだろう、と思った
である。「いいだろう」ですらないのだ。
4.安心と安定
安心
盗っ人の気質
気の遠くなるような気持ちよさ
この共通点は、
✔️緊張する場面で最も手っ取り早く、最もリラックスできた行動
という意味である。「手っ取り早く」という部分がポイントで、「これくらいは、早めにした方がいいのではないか」という自覚のない緊張である。手がやたらに震えた場面で笑い、笑われた経験は誰にだってある。これが焦りとなって視野の狭窄を生み、行動の選択肢を自分で無くしているのである。
安定
✔️同じ状況は二度とこない
サッカーやラグビーなどの球技をしている、していた人ならば骨身にしみていることである。試合に勝つ以前に、選手同士のぶつかりや、ボールのぶつかりによるケガなどから自分を護るためには、一瞬一瞬の状況判断とその実行だけである。
こんなときでも助けになるのは、
✔️「自分自身の動き」
である。
どうしていいのかわからなくなったときでも決してなくすことがない。
見てないとことで盗む
最悪殴って勝てる相手だけに怒鳴る
強く言われて断り切れない
ことも、「自分自身の動き」が助けた結果である。
本当の安心と安定
✔️「ゆっくりとできないことがはやくできるわけがない」
無自覚の緊張に依存し続けた結果を清算するためには、緊張を自覚し、それを解きつづけるしかないのだ。
5.等しく生身の人間
相手も生身の人間であり、自分のために、その場その場で生えてくる最適な人形ではない。これは状況にも当てはめることができる。「交通事故でアクセルとブレーキを踏み間違えたのはパニックが原因」とあるが、これはうわべの話で茶の間の人間の感情を収めるために過ぎない。
その実は、
公道や公園も含めた「お外」のすべてが自分のために生えてきたと思い込んでいる
ことが最大の原因である。
まぁ、何かで、「苦労を感じたから、今思い通りにしよう」なのでしょうが、子どもであろうと老人であろうとそんなものは妄想仕立ての空想であり、何より、
外出というものは「死にに行く」、そして「自分の行動の結果は責任として果たす」こと意味する。
具体的には、「転んで血が出たら、まず止血する」などである。
確かに父親や母親のワルさにあやかって我が物顔で道を歩けたらそれでいいのですが、実際には言い返さない人間だけを選んでいるだけのチンピラでしかない。
右側通行している自転車に怒鳴られたのなら、二度と通らなければいい。家で家族に仕返ししたって1円にもならない。
■「アダルトチルドレン」を選択的忘却する
1.「悪ガキが大人になった」ではない
2.勉強では救われない
3.失敗はただ失敗
4.成長のきっかけは苦痛
5.恐怖を克服するのは実験
1.「悪ガキが大人になった」ではない
アダルトチルドレンは実のところ、「力に従うことを選び続けた」結果がアダルトチルドレンである。
具体的には、
共感、先読みに優れる
主張をしない、または尻込みする
という特徴があげられる。一見すると「いい人」に見えるが、裏を返すと、
いいように使われても、何も文句を言わない、便利な消耗品
である。競争での蹴落としあいによる格差を望む現実の人間社会では不利である。
親や学校での仕打ちで感傷に浸っても、誰も聞いておらず、何より被害者意識をしているまさにあなた自身が、負けた人のことなど風景にすらしていないのである。
2.勉強では救われない
「専門バカ」、「知識デブ」という言葉が現れるようになって、最低でも10年は経っている現在であるが、ことが圧倒的な事実である。確かに読み書きはどこに行っても必要であり、これがないと「お金」と「石油製品」と同じくどうにもできない。
山奥で自給自足
全てを捨てて木喰上人
でもってしても、履物や衣服だけでも、それを作るエネルギィと時間を考えると、お金でポリエステルの服を買うことが、普通に生きるなら最適解になる(洗濯簡単だし、なにより「手っ取り早い」)。狩猟道具や農機具になれば、その難易度は跳ね上がる。鉄で刃物だからだ。製鉄は鋳物師ならではだし、精錬、研磨となればなおさらである。
ここで言いたいのは、決して「勉強するな」ではない。
言い当てている言葉だけを探すことだけに入り浸るな
と言うのである。
結果を直視し、「これかどうするのか」と、自分で言葉を作りながら考えた上で実行し続けることが、勉強こと、本当の学びである。
3.失敗はただ失敗
「必要な失敗だった」は存在しない。失敗はただの失敗である。そこには、否定も、罵倒も、貶しもない。
自分の思い通りにならなかった結果だけである
4.成長のきっかけは苦痛
苦痛は苦しみを取り除くときに必ず感じる。
とはいえそれは、課題が大きい人ほど真剣になるきっかけに過ぎない。刺さった棘を抜く瞬間に痛みを強く感じることと同じである。
これは松村卓氏が立ち上げた骨ストレッチをもってしても同じである。
あばら骨の拳で上下にゴシゴシこすることで、体幹を動きやすくするメソッドである「マグロの中落ち」ストレッチは、はっきり言って痛い。
これはどういうことかと簡単に説明すると、
体に負担をかけてきた結果、緊張がたまり、その緊張を解こうとして動いたときに痛みが出る
のである。
ガマンや苦痛を当然と感じている原因は、やはり思い込みである。そもそもそれは、自分で試したことではなく、突き詰めると「指導者の言葉をかみしめることなく、鵜呑みにしていただけだった」ということがほとんどである。
これもやはり「生き方」を決めていないことによる立場の主張をその場その場でしてこなかったことが原因である。
ということは、彼がおっしゃる「成長にガマンや苦痛は必要ない」の本当の意味は、
どうにかしたいという思いの強さが、違和感と向き合う機会になる
という意味である。
5.恐怖を克服するのは実験
そもそも恐怖は何かというと、緊張した瞬間とその積み重ねである。
稲光や物を落としそうになった瞬間などの急性の緊張は恐怖心として体に記録され、そのときにとった行動「耳をふさぐ」、「何もしない」などの積み重ねによって慢性化する。
その恐怖心を解く方法は、
実験
である。
トラウマは同じ目に遭って、違う行動をとらない限り治らない。
とはいえ、今のままこれを実践すると、傷に傷を重ねることになり、さらに恐怖心と緊張が蓄積される。
なので、テクを使う。それは、「わずかに限界を超える」ことである。
自分の限界を知ることで、緊張するタイミングを直視し、その緊張を解くことで、恐怖心と向き合い克服するのだ。
わざわざ実験という言葉を使ったのはこれが理由である。実験はまさに限界を観るために行われ、そこで発生した失敗を明確にすることで課題を浮き彫りにして、改善を重ねるのである。時には「すべてやめる」決断も実験をするからできるのである。
子どもがわざととしか言いようがないいたずらや、歩道のブロックである縁石の上を綱渡りしたりすることもまさに実験であり、命の限界に挑戦し、どこからが許されないことなのかを自分で確かめているのである。
■まとめ
いじめられる方法:自分の立場を主張しない→「生き方」を決めていない
決めるのは相手の判断:思い込みはゴミ→安心と安定は存在しない
アダルトチルドレン:「限界を見る」ことをしなかった→実験するだけ
行動の源は感情の忘却である
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