お前が一番弱者を見ない
こんにちはユウキです。以前に「あなたが怒鳴る理由は逃避です」という話をしたが。
罵詈雑言の話なんてしたくないのだが。まず金にならない、暗い、ウケ悪い、何よりそもそもビジネスと関係ない。
だが、毎日スッと朝起きたと同時に無意識に出てくる。
「お前が一番弱者を見ない」
って。
こんなのタブー発言だ。一発アウト。
でも本音だからこそ出た。
驚くほど滑らかだ。
流れるようの出のよさで言葉が出た。
見たくない理由?
単純にそのときそのときでけじめをつけてこなかった過去の自分の姿である。
淀んだ感情を直視してはじめて「無視か、向き合うか」の選択肢を得る
さて、どんな言葉が出てくるのかというとこの3つの繰り返しだ
メンツ立てるはやっぱりよその子
五等分のわが子は黙っとれ
お前も餌付け婆ぁじゃ
を見出しに始まる妄想仕立ての念仏。この一瞬だけ何も感じずにいられる陶酔感。何もかもが思いどおりに行くルームウォーカー。手離してこなかった全能感によるファンタジー。
繰り返しになるが見出しはこの3つだけだ。なんて少ない。
はっきり言ってくだらない。母親が視界に入った瞬間やめることができる。視線を逸らすこと全力ダッシュ。即座に、無意識かつ滑らかな本能。
本当にくだらないっすヨ。朝のクソして、昼めし食って、あまあまとコーヒーを流し込むと同時に消えて無くせる程度のもの。「毎日ホールケーキ食ってたら病気になった」ぐらいの馬鹿馬鹿しさである。
メンツ立てるはやっぱりよその子
子どもにケチがついたのであれば、さっさと見捨てて、制度を使って養子縁組をすればいいだけである。
これは完全にテレビの影響である。
釈明しておくが、テレビを否定しているわけではない。
無自覚にテレビをダシにして手っ取り早さを選んだ自分の行動をみろ
という意味だ。
画面の中の人間とは完璧な人間関係を作ることができるからだ。
実際にテレビやパソコン、スマホの画面は「完璧な来客」であり、来るも帰るも私たちの自由だ。
もっと突っ込んで言うと、面倒なこと
金をせびる
いきなり怒る
がっかりする
痛みを感じる
失敗する
なにもできなくなる
その積み重ねを直視する
ことが一切なく、消したくなればいつでも消せる。自分の思い通りの人間関係である瞬間がずっと続けられるのだ。これはまさに「錯覚に生きる」ことを可能にする。
ナマの対人関係と比べると、まこと「薄っすっいの~」という言葉が似合う。画面で映るまでの経過や、その人の思い違い(野球さえ、医療さえしていれば人生の過ちや至らなさを返せると思っていた)、をすべて見なくてもいいのである。
五等分のわが子は黙っとれ
子どもに自立してもらう方法は、「親に期待をさせない」である。やり方は簡単で、責任を分散することによる多責思考である。
例えば、
行動させないために子を黙らせるための頭のいい子
将来の心配のないヤンキーの類の体力のある子
自分をいい人に見せるためのほめる用の子
善人面を確認するための犯罪を起こした子
自分が格上でいるためのけなす用に自分の子
これらはすべて責任逃れのための知恵である。
ヤンキーであれば恨みを買う。でも自分には降りかかってきてほしくない。
頭が良ければ便利。でも自分のバカさは見たくない。
という程度。守るのは子どもではなく、自分の平安。
お前も餌付け婆ぁじゃ
さて、私は団地住まいなのだが、団地に住む限りは当然バカもボウフラのように一定数わくものだ。田舎の行事を捨てるために村八分を選んだ人間の集まりなのだからニュータウンや都会では避けられない。
餌付けの目的は?
野良猫に餌付けをするババァはどこにでもいる。その理由は「猫は飼いたいけど、家が汚れるのはイヤ」という理由が大半である。これに腹を立てるあなたは実は同類だ。なぜなら人間で同じことをしているから。
例えば、
いじめて謝りに行くのはいいけど、裁判はイヤ
とおなじで、これは、「自分の子どもは叩けるけど、よその子にはできない」と同じで、深層心理としては、
その子の親とガチのケンカになるのはもちろん、さらに負けた瞬間の自分の姿を見たくない
ことだ。ぶっちゃけると思い通りにならなくなる瞬間が何よりも怖いのである。「努力はしてないな」という言葉を吐くので判別は簡単である。
どれも字に起こすとこの程度だ。全く必要ない。そこにとどまるのは、卑怯さである。受け身に甘んじた自分を見よ。
そのほかにも
「弱虫と一緒」って意味の平等なんて誰が欲しがってるか、一人もいねぇよ
謝罪なんか「鳴き声」、過ぎたるは自分だけ平安ですべてよし
「損した」と言えるだけお得、家も村も人間も自立できないお前のたまもの
お前の詔で「損しない」なんて無理、ママの許可証でしか指一本の動作も決められない奴が自立なんか語ってんの?笑っちゃうね
お金こそ人権
弱者になったら感情の便器、なんで夜な夜なお前の指チンチンの餌食にあったんですか?あっ、そっか12歳が過ぎて味が落ちたんですか?
怒鳴り声の使い方と見てくれだけでおもえみたいに長生きできるんだから世の中なんて簡単ですよね
自治会?消えて無くなれ、人口?減って結構だ、お前の息子みたいなクズもクレームだけが取り柄のごみも全部なくならーら!
メンツなんてしょせんオスの打算、悪ガキどもはお前の息子をターゲットにするから、自治会なんか最高に平和で利用できる道具だね、あぁ心配ないよ、どうせ怒鳴られることも、叩かれることも中途半端な意気地なしでしょ?仕返しなんか誰にもされないよ
親の仕返しを子でするだけの気狂いは喋るな、父親に送った最後の言葉を聞かせてよ、ヘラヘラじゃなくてさ、あれ、そうか、怖かったんだね、怒鳴り声が染みついた黙りん坊や、逃げてきたことが最後に出たね
などがあるが、どれも結局は同じ言葉の繰り返しなので省く。
共通しているのはバランスを失った瞬間
本日(掲載は後日)のことである。用事から帰ってきて、靴を脱ぎ、家に上がってから上記のような罵詈雑言が出た。これを詳細に分析するとこうなった。
緊張の発生にはプロセスがある
外
1.,鈴の音で上の階に人がいることを感じ取った
2.ボディバッグから急いでカギを取り出した
3.家に入った
中
1.静かに閉めるためにカギを持ちながら急いでドアノブに手をかけた
2.カギをなおしながら電気をつけた
3.靴を脱いで家に上がった
4.右手にはのカギ、左手には買ったものを持ったまま
5.靴下を脱ぐために部屋に入ろうとした
6.ボディバッグが棚に引っかかった
7.前かがみのまま部屋に入った
緊張が極点になったのはボディバッグが棚に引っかかったことである。
前にボディバッグをかけていたことで、背骨が曲がった状態であり、足元はつま先立ちで転びやすくなっていたことに気が付かなかったことが原因である。
どうするのか
靴を脱ぐ前に荷物を下ろす
これだけである。
自分の人生における嫌なことを思い出させるトリガー
数ある中でも一番恐ろしく、10年近くたった現在でもわけが謎なフレーズがこれである。
穢っ多の触ったものなんか触れるか
なんでこんなフレーズが出たのか一切謎である。幸いなことはかろうじて口から出なかったことだけである。
因みにその場所はダイキの店内の入り口で積まれていた買い物かごがある場所である。このフレーズが出たのはまさに買い物かごに触れるか触れないかの瞬間であった。
なおそのダイキの店舗は旧同和地域に隣接した地所にあるが、本記事では差別の扇動や増長を意図したものではないことをここに改めて厳しく書き置く。
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