Google翻訳チベット語を試してみた

投稿の間が開きました。今回は無料機械翻訳の話題です。

もともと私は、人間の創造的分野を機械に譲ることには大反対で、知人のかたがたが遊び半分に試してみてわかったチャットbot類のでたらめぶり、今や日常的に見受けられるAI生成画像の薄気味悪さ、TVニュースで見た生首型AIロボットの憎悪表現のおぞましさ、AIを使った俳優・声優の声の盗用(私もかつて担当していた人気キャラクターの声を売るよう持ちかけられたことがあるけど応じなくて本当に良かった)、AIが引き起こした自死と見られるベルギーの事件、ディープフェイクの脅威など、機械の生成するものには正直良いイメージがありません。

所詮人間の産物の剽窃の寄せ集めに過ぎず、元のデータが間違っていても誰も責任取らないものが、あたかも何でも知っているかの如く振る舞い、またそれにころりと騙される人間の多さに、失望を禁じえないのです。

そしてこの夏、Google翻訳のメニューに、私が今学習に取り組んでいるチベット語が加わりました。

チベット人やチベット語学習者が新機能をこぞって試す中、後者である私も少し試してみたのですが、まず驚いたのが、チベット語の文章を入力した際、ブータンの言語の一つである"ゾンカ"と判断される頻度の高さです(毎回そう判断されるかどうかは未確認ですが、かなり高い)。

ここで余談ですが、ゾンカといえば、私はゾンカを「ゾンカ語」とは呼びません。
ついでにサンスクリットも「サンスクリット語」とは呼びません。
ラテンは必要に応じて「ラテン語」と呼んだり呼ばなかったりかな。
言語名の後に「語」を付けて呼ぶことになんとなくもたつきを感じるのです。

さて肝腎の、Googleチベット語翻訳の使用感についていくつか。

  1. 方言の影響
    チベットは(亡命政府の公式発表では)250万平方キロメートルもある広い領域でさまざまな方言がありますが、その方言が混じっている場合があります。

  2. 敬語に弱そう
    敬語要素のある表現でも、必要以上にカジュアルな日本語で返してくる場合があります(例:སྐུ་ཁམས་བཟང་། →「やあ。」って。究極超人あ〜る的な)。

  3. 助動詞句に弱そう
    少なくともラサ方言においては、文末の助動詞句が主語によって変わることも多いのですが、Google翻訳ではそこが無視される場合があるので要注意です。

  4. 宗教用語に弱そう
    チベット文化の中で重要な位置を占めるものの一つが宗教・信仰に関連した語句群ですが、これが正確に訳せていないのではないかと、試しに使ってみた人たちが言っていました(私自身は試していません)。

  5. 辞書代わりに使うのは危険
    チベット語も一つの単語が複数の意味を持つ場合があり、一つの単語に対し一つの訳しか返してこない翻訳サイトを辞書代わりに使うのは危険。

  6. 間違えられてもわからない
    流れるような文章で平然と誤訳を返してくることもあり妄信は危険。

…ざっとこんなところですが、ある言語を他の言語に瞬時に訳してくれる機能は一見便利ではあるものの、元の言語の成り立ちや根幹となる文化、精神、地域性などによる違いまで反映する力を機械に求めるのは、少なくとも今は無理だろうというのが、少し試してみての感想です。

けっきょく翻訳というのは、人間が生み出したものを人間が全身全霊で他の言語で伝えようとするから意味があるのであって、したり顔の機械に簡単に真似できる技ではないというのが当面の結論ですし、それはおそらく揺るがないでしょう。

そして、チベット語を勉強したことが無ければ、機械によるチベット語翻訳のどこが便利でどこが問題なのかを検証することもできないのだと痛感しました。

石の上にも万年の落ちこぼれですけど、勉強頑張ろうっと。

いいなと思ったら応援しよう!