おみおくりのあとに
Kさん(女性)にお会いしたのは12月の初めでした。
「最期は自宅で過ごしたい」
という思いで退院され、自宅に戻られました。
2回目にお伺いした日、帰り際に私を追ってご主人が玄関先まで出てこられ、
「先生から、妻は余命あと1ヵ月と言われています。年越しはできないかもしれません。どうぞよろしくお願いします。」
そうおっしゃいました。
Kさんはお話を長くされると苦しくなるので、あまりお話はされませんでした。
それでも、
「○○がしたい。」「○○したくない。」
とはっきり意思表示される方でした。
枕元に敷くバスタオルの柄は自分で選ばれ、いつも素敵なシルクのパジャマを着ていらっしゃいました。
また、室内の家具や小物もこだわって選んでおられる様子がうかがえ、私は、お元気な頃のKさんを想像しながら訪問させていただいていました。
Kさんは、クリスマス、大晦日、お正月をご家族と共に過ごされました。
自宅に戻られて約1ヵ月過ぎた頃、私たちはKさんのお見送りをさせていただきました。
しばらくして、ご主人が事務所を訪ねてご挨拶にこられました。
ご主人はひとつひとつ思い出すようにKさんのお話をしてくださいました。
Kさんはボランティア活動を積極的に行われる活動的な女性だったそうです。
数々の思い出の品、たくさんの友人や仲間に見送られ、旅立たれたと。
そして、ご主人は携帯の写真を見せてくださいました。
『ベッドを挟むように私と同僚の看護師。真ん中にシルクのパジャマ姿のKさん』
看護師2人でお伺いした時、ケアの途中にKさんがご主人に向かって、
「あなた、今、とても大事なところだから写真を撮ってちょうだい。」
とおっしゃって、私たちはケアの手を止め、ご主人が撮影された写真でした。
ご主人は、
「妻は、あなた方のことをとても信頼していたのだと思います。」
そう言ってくださいました。
ご家族は、その時にできる最善を尽くされても
「もっと○○してやりたかった」
「もっと何かできたのではないか」
という想いが必ず浮かびます。
訪問看護師である私も同じです。
今までの知識と経験を総動員し、同僚の知恵と力を借りながら、その時にできると思われる最善を尽くすのですが、
「もっと何かできたのではないか」
「これで良かったのだろうか」
という想いが必ず浮かびます。
Kさんのおみおくりの後にご主人とお話しできた事で、私とご主人、それぞれの想いをお互い少しずつ温めあうような、そんな時間が過ごせたように思います。
--
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?