「無知はひとをころす」ということを覚えておきなさい。
「ねえ、まか。『無知はひとをころす』ということを覚えておきなさい。」当時高校生だった私に、先生が言った。
当時、高校生の私には先生の言葉が理解ができなかったが、30年以上経た今でも折に触れ、心の奥底から意識へ浮かび上がってくる言葉の一つだ。
その言葉と共に、先生の容姿もなぜかはっきりと覚えている。
小柄で色白、黒縁の眼鏡にショートヘア、襟付きのチェックのシャツにアースカラーのチノパンツ、聖書の授業が専門なのになぜかいつも白衣をフワッと羽織っておいた。
女性だったけれど、女性でも男性でもないような中性的な先生だった。
当時、友人から「まか」と呼ばれていた私の事を、先生は同じように「まか」と呼んでくれていた。
*~*~*~*~*~
私は看護師として働くようになった。
人の健康や命に係わる仕事である以上、看護師として勤務していく中で
「私にもっと知識があれば、違う言葉をかけられたのでは」
「私にもっと知識があれば、結果が違ったのでは」
と思う事出来事が幾度となくあった。
勿論、たった1人の看護師に知識があったところで、人の人生や命がどうにかなるような大それたものを私は持ち合わせてはいないが、それでも思った。
そして、私は自分の「無知」を責め、自分に自信がなくなった。
だから学ぼうと思ったし、今まで学んできた。
専門分野だけでなく、知らないことを知る喜び、自分が知識を得ることで結果的に誰かのお役に立てるということも経験した。
「今なら、あの時、もっと違う関わりができた」と思うことはたくさんある。
*~*~*~*~
今は、あの時の先生の言葉を私なりに理解している。
『無知』ということは、
「知らなかったから、できませんでした。」
「知らなかったから、やっていません。」
時に、自分を守るための言い訳として使う。
「そんな風に思っていたなんて、知らなかったから。」
「そんなことが起こっているなんて、知らなかったから。」
時に、他人に迷惑をかけたり、傷つけた時の言い訳として使う。
そして、知らぬ間に相手を傷つけもする。
「知らなかったから、こんなことになった。」
「知っていれば、こんなことにはならなかったのに。」
「知っていれば、できたかもしれないのに。」
時に、自分自身を責め、苦しめ、傷つける道具として使う。
結局、「無知は、ひと(他人も自分も)を生かせない」ということだ。
世の中は知らないことだらけ。
私は、これからも学んでいきたいと思う。
(無理な日は)知ろうとする努力をしよう。
(もっと無理な日は)知らないということを知った自分を褒めようかな。
先生からは「知ったかぶりをするんじゃない。」といわれそうだけれど。
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