この時期お決まりの、子どもたちの保護者面談が終わった。
いつの間にか夏になった。
コロナによって仕事や生活スタイルが今までと変わってしまったせいか、1日1日や1週間が長く感じるのに、過ぎてしまえば随分と早い。
「お母さん、『何でもそこそこ出来る』ってことは、何の特技も無いってことなんだよね。」と言っていた長女は、今年高校3年。
コロナの影響で、吹奏楽部最後のコンサートは中止となり、何となく、いつの間にか引退となり、学校へまともに登校できるようになったのは6月だった。大学進学フェアはZOOMで参加し、オープンキャンパスもWEB開催がほとんどだ。それでも、遅ればせながら吹奏楽部の三送会が開かれるらしく、今日も学校へ出かけて行った。
気ままな次男坊は高校1年生になった。新1年生は入学式が中止のまま、課題は出されるものの、長い春休みが続いた。
初めてクラス全員が揃って登校したのは6月だった。
「クラスの奴ら、みんな、いいやつだよ。」と、夕飯の際には、「○○がどうした」「◎◎がこうだった」と、相変わらずいつもお喋りだ。
今日は部活も休みの為、静かに就寝中。
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この時期お決まりの、子どもたちの保護者面談が終わった。
先生からのお話の内容は、だいたい、学校での生活状況や成績についてだ。
最初の頃は、「成績はどうだろう」「先生から何を言われるのかな」などと、最初は何となく毎回気が重い行事だった。
学校の保護者面談は、幼稚園から高校卒業まで毎年2~3回、塾の保護者面談も年に3回、それを長男・長女・次男あわせて3人分、今まで数えきれない数だ。私はたくさんの先生と保護者面談でお話ししてきた。その中で、途中気付いたことがある。
保護者面談は、「子どもたちの成績や学校の様子を知る」だけでなく、それ以外にも大切なことがあるということだ。
先生から必ず質問されることがある。
「おうちでの様子はどうですか。」
「何かご質問や、心配なことはありますか。」
学年が上がると
「お子さんの進路や将来についてはどのようにお考えですか。」
つまり、
「お母さんは、どれだけお子さんの事を知っていますか?」
「お母さんは、お子さんの教育や将来についてどのように考えていますか?」
ということを先生から問われ、それを私が言葉にして表現する「発表会の場」なのだ。
答えは「いえ、特にありません。」ではいけないと思っている。
どちらかというと、保護者面談の制限時間の中、3分の1くらいは私がしゃべっているかもしれない。先生方に子どもたちが外では見せない様子を知ってもらい、学校生活や指導の中での参考にしていただきたいからだ。
学年が上がり、子どもの進路や将来について質問されるようになってから、必ず私は言うことがある。
「子どもに、『このようになってほしい』とか、『どこの学校に行くべき』とか私の考えを押し付けるつもりはありません。『自分自身でこれがしたい』とか、『この学校に行きたい』と思って決めたところに進めばいいと思っています。」
教育論ぶってしまったけれど、私にだって親として子どもが「こうなってくれたらいいな」という思いや、子どもには「幸せになってほしい」と思うがゆえ、心配もする。それは「自分自身の人生は自分で歩んで欲しい」という思いとの戦いなのだ。
結局は
「あなたの為を思って」という「親の正義」を子どもに振りかざしてしまわないように、半分は自分に対する戒めなのかもしれない。
この夏も、そんな「発表会の場」が終わった。
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