《リバプール》 海洋博物館
リバプールの港にはAlbert Dock(アルバートドック)という場所がある。
ここではレストラン、お土産屋さん、さらにはフェリー乗り場もあり一日中楽しむことができる。
そんなAlbert Dockには、歴史的に非常に重要な2つの博物館がある。
・Maritime Museum(海洋博物館)
・International Slavery Museum(国際奴隷博物館)
どちらも「リバプールにあること」が重要な博物館である。
この2つの博物館はひとつの建物に入っていて、
3階が海洋博物館、2階が国際奴隷博物館になっている。
今回は海洋博物館に行った記録を。
タイタニックとリバプールの関係
マージーサイド海洋博物館
名前の通りここは海に関する歴史を知ることができる博物館。
この海洋博物館にはあの有名なタイタニック号の模型や、本物のタイタニック号から発見されたものが展示されている。
なぜそれらがリバプールにあるのか。
それは、タイタニック号がリバプールで登録された船だから。
タイタニック号は北アイルランドのベルファストで作られたが、その製造会社の本拠地はリバプールにあった。
そのため、完成したタイタニック号はリバプールで登録され、船尾にはリバプールの名が付けられたである。
巨大なタイタニック号の模型もかなりインパクトがあるが、
他にも非常に貴重なものが展示されている。
タイタニック号 生存者の着用品
このライフジャケットは1912年4月14日 タイタニック号が沈没した時
ボートに乗って助かった生存者の寄贈によるものらしい。
実はこの海洋博物館に行った2日前に、1997年公開の『タイタニック』
を観て予習していた。
だから映画で乗客が着ていたライフジャケットの本物なんだ…
と思うと恐ろしいあの数時間が思い浮かび一気に鳥肌がたった。
このライフジャケットで多くの命が助かり、多くの命もなくなった。
100年以上の時間が経っているからこそライフジャケットの形や色、傷から「歴史を見た」という感覚があった。
失われた命
海洋博物館のタイタニック号の歴史が展示されているエリアは全てが興味っ深いが、その中でも特に印象的だったエリアがある。
それはタイタニック号の全乗員乗客、 約1500人の名前と生死が書かれたパネルのエリア。
以下の写真、かなりわかりにくいかもしれないが、
黒が生存者、青が犠牲者 という見方。
まずは①の1等乗客のリストから③の3等乗客のリストを見比べてほしい。
①1等乗客
②2等乗客
③3等乗客
1等の乗客から3等の乗客のリストを見比べると、1等の乗客の生存率の高さ、3等の乗客の圧倒的な生存者の少なさが一目でわかると思う。
『タイタニック』の映画内では1等の乗客からボートに乗り、3等の乗客は順番が来るまで待機させられていたが本当にそうだったのだと思い知らされる。
命の価値は同じなのに。
こうやって目に見える形で表されているのは見ているだけですごく辛かった。
そしてもうひとつ気になったのが、
「1等、2等、3等に関わらず生存者は女性と子供が多い」ということ。
これもまた映画で描かれていたが、ボートに乗るのは1等の乗客に加え
女性と子供が優先的にボートに乗ることができたという。
現実もそうだったのだと、自分の目でリストを見て確認することができた。
そして以下はクルーのリスト。
④クルー
クルーの生存率は乗客のような等級ではなく、仕事によって非常に差があることがわかる。
最も目についたのは「エンジン」と書かれたエリアのクルーの生存率の低さである。
エンジンルームがあったのは客室よりもさらに深い場所だから氷河に衝突後、1番最初に海水が押し寄せたはず。甲板に出ることすら難しい。
そして反対に、甲板で仕事をしていたクルーは生存率が高い。
船が沈むまでの時間で一番長く外にいたクルーたちだろう。
乗客をボートに乗せるクルー、乗客を抑えるクルーなど、これも映画内で様々な役割を見ることができた。
映画からなんとかあの瞬間を想像することしたできないが、現実は絶対に想像さえできない。
私たちはただこうやって生死のリストを見てあの日を知ろうとすることしかできない。
こんな事故が2度と起きないことをひたすら願うしかできない。
「忘れない」ということも大事なことなのかも。
そして、タイタニック号であれほどの犠牲者が出てしまったのは
ボートの不足も指摘されている。
乗員乗客の数に対して全く足りていなかったというボートの数。
下の写真はタイタニック号の模型にあったボートを撮影したもの。
そして次の写真は1930年ごろに作られたという別の船の模型のボート
この2つの模型を見比べると、タイタニック号の事故があった1912年以降に作られた船には十分な数のボートが備えられていたことがわかる。
タイタニック号の事故の教訓なのだろうが、タイタニック号のあまりにも少ないボートの数がやはり信じられない。
教訓によって、船だけでなく今までの発明も改良も繰り返されてきたのだと思う。
しかし現在に至るまでに多くの犠牲があったことを絶対に忘れてはいけないと強く感じた。
今後の未来では犠牲が出ることなく安全な
「モノ」が生まれることを願って。