老子の言葉で、しなやかで心満たされた人生を
最近、老子の言葉が心の琴線にビンビン触れる。
中国古典では儒教の名著である「論語」がとても有名であり、孔子の思想が広く知れ渡っている。
渋沢栄一氏の「論語と算盤」がベストセラーになっているように、論語は「リーダー論」としてビジネスマンを中心に多くの人々に愛されている教えであるし、私自身も読んで感銘を受けた。
孔子はエリートのリーダーが組織を牽引していくために必要な心構えを説いていると私は考えているが、その一方で、道教である老子の教えは、様々な外部環境が変化する中、しなやかに生き延びていくための処世術を説いているように思う。
決して組織のトップに立つ人や、リーダーだけではなく、誰もが「自分らしく」心穏やかに充実した人生を送るために参考になり、世の中を広い視野で見つめながら冷静に客観的に物事を見る力を養うことができるだろう。
例えばこんな教えがある。
「道を以て人主を佐くる者は、兵を以て天下に強くせず。其の事、好く還る。」
これは、「武力をもって強引に敵を倒したとしても、最終的には悪い知らせとして返ってくる」ということだと理解している。
要は、「〇〇であるべき」「〇〇でなければならない」という執着を持ち、反対論者をねじ伏せながら強引に物事を進めたとしても、その後に多くの軋轢を生み、恨みを持った人たちが時機を見計らって反撃してくる。
だから、決して自分の信念(周りからすると自分勝手な執着)を強引に貫こうとするのではなく、様々な考えを持つ人たちのことを考え、自分の考えだけにとらわれず、柔軟に物事を進めていくことが大切だと。
これは会社などの組織だけではなく、友達や家族の間でも当てはまることだ。
同じ環境で長年同じことをずっとやっていて、それなりに成果を出している場合、ややもすると
「俺がやっていることは正しい」
「自分が一番よくわかっている」
「みんなは俺のやり方考え方に従えばうまく行く」
などと思ってしまう人も多いだろう(私も含めて)。
これだけ科学技術の発展のスピードが速く、また価値観の多様化が広がっている中で、その考えは完全に時代遅れになってしまう。
井の中の蛙状態だ。
常に、周りの人、特に自分と全く異なる環境で生きてきた人や年齢・性別が異なる人たちの考え方に触れ、その違いを楽しみ、受け入れながら新しいものを共に創っていける人でありたい。