映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」と老子の教え〜足るを知る(知足)〜
8月に戦争映画を観る。
これは日本人として生まれた僕にとって日本という国、そして今の時代に生まれた感謝を忘れないためにも必要な儀式のように思っている。
昔は「火垂るの墓」を何度も観て何度も泣いた。
いまだに8月になり終戦の儀式をみるたびに思い出す。
僕の世代は祖父母が戦争を体験しているが、多くの方はすでに亡くなっている。
だから直接戦争の話を実体験とともに聞く機会はほとんどないが、実際に2世代前という最近の日本に現実に起こった決して忘れてはいけない事実であり、命の尊さと平和のありがたさを再確認する機会は必要だと思う。
そして今夏は、先日Amazon Videoで観れるようになった映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を観た。
親や学校、すべてにイライラした毎日を送る高校生の百合。母親とケンカをして家を飛び出し、目を覚ますとそこは1945年、戦時中の日本だった。
偶然通りかかった彰に助けられ、彼と過ごす日々の中、百合は彰の誠実さと優しさに惹かれていく。
しかし、彼は特攻隊員で、ほどなく命を懸け戦地に飛び立つ運命だった。
(本「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 (スターツ出版文庫)」の概要紹介文より)
この映画を観ながら、約80年前の日本の戦争による経済的困難、若者の自ら選べない運命、そして、戦争がなかったら実現したかもしれないもう一つの人生への憧れ…
それをタイムスリップによって目の当たりにする百合が抱く戦地に臨む若者たちへの違和感、未来の自分が置かれている環境との違いを痛感して、
元の日常に戻ったときに、力強く生きる決意と今の生活や親への感謝を感じて新たな道を歩み始める。
その姿を見たとき、老子の言葉が頭に浮かんだ。
「足るを知る者は富み、努めて行う者は志有り」
これは、
満足することを知っている者は精神的に豊かであり、それでいて努力する者にこそ本当の志は宿っている。
という意味だ。
それまでの百合は、周りとの比較で足りない部分にフォーカスして、
自分の人生の不甲斐なさを感じていた。
しかし、
タイムスリップから戻ってきた後の百合は
今あるものへの感謝、人生を選択できる自由を噛み締めていた。
この変化はとてつもなく大きい。
足りないものを常に追い求める人生は、
成長するためには必要なカンフル剤になるかもしれないが、
海水は飲めば飲むほど喉が渇くというように、
その欲望には限りがない。
そしていつまで経っても満たされない。
それより、
今あるものを受け入れ感謝し、
他人との比較ではなく自分のモノサシで
心満たされながら丁寧に今を過ごしてゆきたい。
そんなことを考え、家族とリラックスしてすごせるお盆休みに感謝をした。