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年代別、人生のステージ

週末に読んでいた文章で、たまたま年代について面白い記事を続けて読みました。
ひとつは米津玄師さんのロングインタビューから、30代になったくだり。

30代になったことをやっぱり節目と感じていて、30、40、50と10のくらいの数が変わる度に、これからも同じような経験をするんだろうなって思うんですけど――人生ゲームのステージが変わる瞬間というか、幼少期、青年期、大学生、大人みたいな、ステージが変わっていく瞬間に司会者みたいな人が現れて、「あなたの今までの人生こうでした」と言われ、ステータスがそこに表示されて、「こういう風にあなたの人生は仕上がっております、はい引き続きこの先をどうぞ」みたいなことを告げられたような感覚になったんです。

with digital 2024.6.3

よく30代になって代謝が落ちたとか、今年は厄年だとか話したりするけれど、年代別のステージというのは確かに存在すると思います。
それはやっぱり、人間も生き物だから自然の摂理に逆らえないから、が大きいのかな。
いくら医療が進んだり栄養状態が良くなっても身体の発達や老化は必ず起こるし、世の中のシステムが変化しても、年齢を重ねて経験値を積んでいくと行き着く思想には、どんな時代でも共通項があるような気がします。
少し話が大きくなってしまいましたが…。

こちらのインタビューも面白かった。
宮沢りえさんと糸井さん。

糸井
40代のころのりえちゃんは「とにかく、立つ」という感じがしました。自分の足で立って歩いて走っていた輪郭が、そのまま彫刻になるくらいはっきりしていました。それはものすごくかっこいいことだったんだけど、同時にたいへんなことでもあったと思います。でも、きょう、いまのりえちゃんを見たら‥‥うん、表情や空気が柔らかくなってるよ。

「はかないことも、諦めることも、とてもたのしい。」第二回

このインタビューには前回があって、それはちょうど10年前のAERAの企画だったそうで、10年前のインタビューも読んでみました。
宮沢りえさんがお母さんを失くした直後のインタビューで、そこが主題ではない対談だったけれど、りえさんの「母の喪失」への向き合い方に、かなりグッと来るものがありました。
前回の記事と連続して読んだらつながりがわかって、より深く言葉が響くと思います。

実はどちらのインタビューでも「諦める」ことについて言及していて、そのことも面白いなと思ったんです。

たまたま同じ日に連続して読んだ記事が米津玄師さんと宮沢りえさんが年代について語った話で、年代も違う二人がそれぞれじっくり自分と向き合って考えてきた中から出てきた「諦める」についての感想。
ひとつでも面白いのに、同時期に記事が世に出ているのが興味深い。
ぜひ時間があるときに読んでみてほしいです。

わたしはnoteの中でじぶんのことを「アラフィフ」と書いたりしていますが、じぶんで書いていて抵抗があります。あんまり好きな言葉じゃないし、年齢で一括りにするのも雑だなと思うところがある。

それでも敢えて使うのは、ある一定のイメージが伝わりやすい簡便さと、年代なりの共通項がやはりあると思うから。
その年になってみないと分からないことって確実にあると思うので…。だから、年を取るのは楽しいです。常に新しい視点が得られるから。(まぁ、失ったり忘れてしまうことも多いですけど…。)

それにしても、もし世界が10進法でなくて2進法とか50進法だったら、年代の区切りはどうなっていたのかなーと考えてしまいました。全然人生とそぐわないことになりそうです。
完全に個人の見解ですが、人間のライフサイクルに合わせると、7から12くらいで一巡りがちょうどいい感じがします。

今日は話が大きくなる傾向があるなぁ。
そろそろこの辺で。それではまた。

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