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民藝MINGEI 美は暮らしのなかにある
ついに、やっと行きました。
「民藝MINGEI 美は暮らしのなかにある」@世田谷美術館です。本日最終日。
先日読んだ、鞍田崇『民藝のインティマシー—「いとおしさ」をデザインする』で得た疑問は「どうして今の時代に民藝が必要なのか?」です。本では「いとおしさ」をキーワードに読み解いていましたが、自分なりに考えたいなと思いながら鑑賞しました。
(まぁ普通に観てただけなんですが。)
![](https://assets.st-note.com/img/1719728630182-4d8nKFfAkI.jpg?width=1200)
第Ⅰ章「1941 生活展─柳宗悦によるライフスタイル提案」のキャプションで、気になる言葉がありました。
柳が目指した展示は取り合せ陳列とも呼ばれる。周囲に配される展示品の形や色との相互作用によって、互いが個々の美しさを活かし合うことが目指された展示「それ自身一つの技芸であり創作」となり得るもの、と見なされている。
柳氏いわく、「親しく温い場所」となるような展示空間を「創作」していく、とのことでした。
民藝は暮らしのなかで使われる道具の美しさをとりあげたものだから、実際に使われている「場」の再現にもこだわっていたのかなと思います。
美術品として切り離して展示するのではなく、使われる文脈ごと展示する必要があるってことでしょうか。
今のインスタレーションみたいな考えかな?と感じました。
第Ⅱ章は「暮らしのなかの民藝─美しいデザイン」。
民藝は暮らしのなかから生まれ、暮らしに根付いたもの。その信念から柳宗悦たち民藝運動の創始者は、日本各地でその土地の風土から生まれたものへ目を向けたそうです。
展示品は北海道から沖縄まで、さらには朝鮮半島や台湾、トルコ、ヨーロッパの品もあり、収集対象の地理的広さに驚きました。明治生まれの人の行動範囲の広さはスゴイ。
厚司(アットゥシ)という樹皮布でできたアイヌの羽織物があったのですが、説明にもあったようにすごく力強い模様でした。
後で出てきたサンブラス島(パナマ)のモラという、魚の「双魚文」のパッチワークがあったのですが、刺繍や縫いで描く文様にはすごいパワーを感じます。一針縫うごとに想いがこもるんですかね。
民藝品は、いわゆる伝統工芸品がたくさんあって、黄八丈、結城紬などの高級織物から、焼き物は瀬戸、美濃、有田など有名な地名がどっさりありました。
そうかと思えば、土産物店の片隅で埃をかぶっているような野暮ったいなぁと感じるものもあったり、素朴だけどモダンだなぁと思うものもあり様々で、民藝の世界は奥深いです。
選んだ人の審美眼が試されそう。
第Ⅱ章で好みだったのが朝鮮半島の蝋石製薬煎。
黒い卵型の本体に幾何学模様の取っ手がついていて、思わず手に取りたくなる存在感です。すごくモダンな佇まい。
なのに直火オーケーという実用さがステキ(笑)。さすが使ってなんぼの民藝。
もう一つはアゼルバイジャン(イラン)の靴下。植物の模様?が白、茶と焦げ茶で編まれていてとてもかわいい。
民藝の立役者の一人、芹沢銈介のコメントが良かったです。
「すっぽり模様につつまれるたのしさ」。
まさにその通り。履くと心まであたたかく、楽しくなるだろうな、と容易に想像できる靴下でした。
最後のパートは5つの民藝をクローズアップしていました。
小鹿田焼(大分)
丹波布(兵庫)
鳥越竹細工(岩手)
八尾和紙(富山)
倉敷ガラス(岡山)
それぞれの職人さんの動画があって、語る言葉も良かったのですが、冒頭に黙々と作業する場面を繋いだ動画がまた良かったのです。
糸を紡ぐ音、ガラスを切るチリッとした音。
熟練した職人さんの立てる音は心地よかったです。
「どうして今の時代に民藝が必要なのか?」
この答えはまだモヤッとしているけれど、民藝を観ていて感じたことがあります。
真面目に作られたものには、何かしら作り手の心が宿っていて、それを使うことでバトンのように気持ちごと渡されるんじゃないかという感覚です。
受け取った人は何かを感じて心が動く。それは工業製品にもあるかもしれないけど、手仕事の方がより強く伝わる。
でも現代でそれが必要とされる理由は色々ありそうで、そこはモヤモヤしたままで宿題になりそうです。
長くなりましたが今日はこの辺で。それではまた。