釣った魚と餌の話
先日、夜オットとTVを観ていた。
血液型毎にどんな特徴があるかなどをアレコレという番組だった。
“A型は釣った魚に餌はやらないタイプです”
TVで何かの専門家の人が言った。
A型のオットが “あー、分かるわぁ、そうなんだよねー”と言っていた。
近々に誕生日が迫る私は、(おや?今年はプレゼント無しなのか?)と思い、つい、“誕生日もうすぐなんだけど!笑”と反応したが、後から後から、色々と思う事が出てきた。
そもそも、私が “釣られた魚” なのかという事にちょっと疑問が湧く。
魚を餌で釣るというのは、好物を目の前にぶら下げて喰いついたところを釣ることだと思う。
これを男女の恋愛に置き換えたら、それこそプレゼントなり金銭的なものだったりそういうものをチラつかせてお付き合いに持ち込んだりする事なのではないかしら。
私達フウフにはそのような交際時の記憶はないと思う。
ただもし、この“餌”というものが、安らぎとか癒しとかそういう精神的な安心感みたいなものだとしたら、私はまんまと “釣られた魚” である事を認めざるを得ない。
“餌”として与えられるものが必ずしも物品であるとは限らないということか。
そして相手が与えているものと、自分が受け取って満足しているものがイコールではない事もあるのかもしれないし、相手が目一杯与えたと思っているものを受け取るサイドが華麗にスルーしている事もあるのだろう。
要するに、“餌”=“愛” であってその示し方も受け取り方も多種多様なのではないだろうか。
オットが私に与えていたつもりの“餌”は一体何だったんだろう?
その視点から色々と振り返ってみる面白いなと思った。