「名前」の意味とは【サウナセンター@鶯谷駅】(1/2)
ふと、マルセル・デュシャンの『泉』というアート作品を思い出した。この作品について知らなければ、その名前から「清らかで美しい造形物や絵画」を連想する人は多いかもしれないけれど、実はこの作品、トイレの便器なのである。
(「アートとはなんぞや」デュシャンの便器が教えてくれたこと https://bunshun.jp/articles/-/9219 )
しかし、これは見る人によっては便器だけれど、マルセル・デュシャンが『泉』と名付けて美術館に飾ることによって、その途端にアートとしての価値を持つようになったのだ。
このように、名前が付けられることによって価値が生み出されるものはあるし、そのために「名前」は存在しているとも考えられる。
そもそも、なぜ僕がこのようなことを突然考え始めたのかというと、その理由は「お笑い第7世代」の台頭にある。僕はよくテレビを見るのだが、毎日のように「第7世代」という言葉をテレビで見聞きしているうちに、そのカテゴライズの価値に気付いたのだ。
この「お笑い第7世代」という言葉に明確な定義は無いものの、これは20代後半〜30代前半あたりの世代で活躍しているお笑い芸人たちの総称のようなもので、2018年に行われたM-1グランプリで優勝を果たした「霜降り明星」のせいやの発言が発端だと言われている。なお、第7世代に該当する芸人は霜降り明星のほかに「ハナコ」「四千頭身」「EXIT」「宮下草薙」などが挙げられる。
ここで僕が言いたいのは、この「第7世代」という言葉の誕生によって新たな価値が創出されたことである。たとえば『第7キングダム』や『お笑いG7サミット』などテレビ番組の名前に直接的に使用され、実際にその芸人たちがメインパーソナリティとして出演していることもあれば、その他の番組内でも「第7世代」という枠でゲスト的に出演していることもある。
つまり「第7世代」というカテゴリができたことによって、それに該当する彼らの仕事は増えたわけだ。逆に、もしもそのカテゴリがなければ、このような形での彼らの仕事は生まれなかったかもしれない。
この考えは身近なところにも当てはまる。ペットボトルのことを「ゴミ」と呼ぶか「資源」と呼ぶか、予想外の仕掛けのことを「サプライズ」と呼ぶか「ドッキリ」と呼ぶか。同じ物や事象であっても、それをどう分類してどう呼ぶかによって価値は変化するのだ。
もちろん、これはサウナにも言える。たとえば、今では「サウナの聖地」と言えば静岡にある「しきじ」という店舗のことを連想するし、そこから派生して熊本にある「湯らっくす」という店舗のことを「西の聖地」と呼ぶ人も増えてきている。聖地とまで言われれば、そこに行きたくなるのは人の心理だ。実際、全国各地からそれらのサウナを目指して遠征をしているサウナ愛好家も少なくない。
また、いつしかサウナによって得られる快感のことを「ととのう」と呼ぶようになったが、この快感に名前がついていなければ、サウナに興味を持つ人は今ほど増えなかったかもしれない。この快感のことを「ととのう」という共通言語で表現できるようになったからこそ、より一層サウナは注目され、「ととのい」を得るためにサウナに通い始めた人もいるはずだ。
やはり、物体や事象は名前がつけられることによって個別に認識されるようになるし、それによって生み出される価値はあるのだ。僕はこれに気付いてから、サウナを有する各店舗がどのように呼ばれているのかを意識するようになったのだけれど、そこで目に留まったのが「東京で最も古いサウナ」と呼ばれている「サウナセンター」だった。
そんな時に、たまたま知人と連絡を取り合っていると、話の流れで久々に一緒にサウナに行くことになった。僕は基本的には一人でサウナに行くようにしているのだけれど、信頼のおける知人とであれば話は別だ。
そして迎えた2月24日(水)、僕はサウナセンターを目指し、鶯谷駅へと向かったのである。
(written by ナオト:@bocci_naoto)
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