【小説】君が僕を好きになってくれないなら

 雪が降る音を幻聴しそうなほどに静まり返った冬の朝。倉庫の中は寒くて、僕は水っぽいゲロを何度も吐いた。胃酸で食道がひどく痛む。顔を上げると、心配そうに妹が僕を見下ろしていた。大丈夫だから、と僕は平静を装って笑みを作る。”作業”に戻ろうとする僕の足取りは重い。ゴム手袋をはめた。手袋の中は僕の手汗でじっとりと湿っていて気持ちが悪い。僕は足元の斧を掴もうとするが、手袋が斧の重さに負けて僕の手から抜けそうになる。手にめいいっぱいの力を込めて僕は斧を持ち上げた。斧の切っ先が弧の頂点に達したところで、重力に任せて振り下ろす。ガンッ!! 倉庫全体に大きな音が響く。斧から伝わってくる嫌な感触に僕は息を早くした。大げさなほど肺を動かして何とか呼吸を整える。倉庫の端でまだ音が木霊している。喉が渇いた。口に溜まった唾をかき集めて喉に流す。喉ぼとけが上がったころ、僕はおもむろに面を下した。瞬間、床に横たわった彼女と目が合う。彼女の眼はカサカサに乾いていて光を宿していない。けれど、彼女は確かに僕を捉えている。衝撃音が止んでにわかに静まり返った倉庫の中で、開かれた彼女の喉から漏れる空気の音だけが僕の耳に入ってくる。僕は彼女のことが好きだった。つややかで細い黒髪も、猫のような丸い瞳も、筋の通った少し低い鼻も、柔和なラインを描く頬も、血色が悪い薄い唇も、白くて僕より細い首も、よく通るカンの高い声も、彼女の全てを僕は愛おしく想っていた。でも、彼女が僕を好きになることはついぞなかった。僕の中で様々な感情が濁流してぐちゃぐちゃに混ざり合う。愛情と憎しみの歪なマリアージュが僕に彼女を殺すことを迫ってくる。早く死んでくれ。僕はまた斧を振り上げた。(714字)



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