蝦夷菊


 




 
    遠く懐かしい声が聞こえた。
 それは水面を揺らす微風よりも柔らかく、
 昼下がりの陽だまりよりも温かく、
 その心地良さに誘(いざな)われ、
 閉ざされた目を静かに開いた。
 
    昔に戻りたいと思ってしまうのは、
 後悔が自分を責め続けるから。
 そして、もう一度逢いたい花笑みがずっと消えないから。
 
    流れゆく時に抗うことは許されず、
 迷える時間は限られていたから、
 心許ない選択を繰り返し、
 生き急ぐように駆けてきた。
 
    取りこぼしてきたものは数知れず、
 すべてを拾い直すことなど、
 叶わぬことは承知の上で。
 
    漸く振り返ることができた時、
 犠牲にしてきたもののかけがえのなさに、
 涙が溢れそうになった。
 
    繰り返す過ちが残していた傷に気付いた時は、
 もう出会えない温もりが、
 今も温かいままここにあることにも気付いた。
 あの日咲いていた花が呼び起こす追憶の景色。
 閉じ込めた優しい痛みに、
 今、確かに生かされている。
 
 
 
    大切にしきれなかった大切を、
 選べなかったものの重たさを、
 今になって痛む心が物語っている。
 
    今更溢れてくる謝罪の言葉は、
 何の意味も成さないことを知りながら、
 形にせずにいられなかった。
 
    重ねゆく過ちが増やしていく傷は生きた証で、
 もう戻れない日々への愛惜も、
 すべて抱えてゆくしかないことを教えてくれた。
 あの日咲いていた花が呼び起こす追憶の景色。
 慈しむ優しい痛みに、
 まだ、確かに生かされている。
 
 
 心の奥の奥、流水の如く止まることのない旋律は、
 忘れることのできない、もう訪れぬ時間を奏で続けていた。
 失ったものが今に意味を与え続けてくれていたから、
 覚束無い足取りでまだ進むことを選ぶことができた。
 
 儚くとも変わらないでいてくれるものは、
 今は思い出の中だけに。
 過ちの痕は、常永久に塞がらないでほしいと願う。
 遠い日を想うことを止められないまま、
 痛みを刻みながら生きていく。
 
 



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