ベリーベリータコストロング
ずっと楽しみにしていた舞台がそんなに刺さらなかった時、なーんだこんなもんかと帰り道一人口にしたくなった。一人で帰るにはあまりにも寂しすぎて近くで英語の勉強をしていた友人とベローチェで合流してそいつが持ってきていた本を読んで時間を潰していた。1時間くらい位だった頃隣のおじさんが突然始めた力強いシャドーボクシング。あまりのキレの良さに私たちは目配せをして喫煙所へ向かった。机においてある農業百科に椅子にかけてあるギター、ボディブローのようにじわじわくる熱くなる胸。おじさんについて熱弁し終えて、喫煙所を出ると流れる沈黙の時間。1人やのに独りじゃない、教習所のようにハンドルを握ってる間は隣には誰かがいてくれる。バイトの時のようにレジをしている間は目の前に誰かがいてくれる。それらの事実は私に小さな安心を与えてくれる。いてもいなくてもいい、私じゃなくてもいい、けれど今この瞬間必要とされているのは紛れもない私だ。私の存在を知らしめるために自分の言葉を口にするのはあまりにも疲れる、けれどここに自分が存在しているのが分からなくなった時にいてもいなくてもいい、あなたじゃなくてもいい、今この瞬間だけ必要とされるくらいの距離感が丁度いい。本のページが127ページあたりまで来た辺りで向こうの勉強が終わり、沈黙の時間は破られた。突然、自我を求められた私は不安でそわそわする、突然泣き出したくなる。なんですぐに笑って誤魔化すの?なんで君には口があるわけ?前に言った言葉がすぐにでも零れそう。どうでもいい夕立ちの愚痴が躁鬱で気分のおかしい私のことみたいで今すぐにでも夕立ちを起こしそうになる。思考がキャパオーバーになった私は突然の眠気に襲われる。そろそろ帰るかと声をかけてみるもなぜか友人はメキシコ料理を調べ始めた。サルサソースの酸味と肉汁が絡み合ったタコスに、この前干したばっかりの柔らかい布団にしなびたさめのぬいぐるみ、誘惑的なこの2つの欲望は布団の敗北。仕方なくメキシコ料理を目指してとぼとぼ歩いていると橋の上からみんなが川を覗いている。私達もみんなの真似をするように川を覗くと灯篭が流れていた。その近くで花火をしている人たちを見て思い出したように、私が家の中で花火をしたことをネタにするように話して私たちはメキシコ料理屋に向かった。メキシコ料理屋の構造はとても変わっていて1階には謎の小窓と上へと上がる階段しかなかった。構造も建物の年季の入り方も古いラブホに似ているなと思いつつ口にはしなかった。念願のタコスを食べ終えた帰り道、まだ灯篭流れてるかななんて言いながら川を覗くとそこには石に引っかかり動けなくなった灯篭が1つだけ浮いている。なんだか私みたいだなんて思っていると「ボニコさんみたい」横からと言わてそうだよと笑った。「みんな同じスタートなのにこうやってどっかで引っかかってばっかり」そういった私には返事をせず代わりにたばこに火をつけた。さっきとは違って私にはくれない。口もちぶたさな私は時々口をつうと尖らせてみたり、橋の手すりに体をだらんと預けてみたり。するとひっかっては動かなかった灯篭が風の力でほんの少し動き始めた。「みて」じぃっと眺めているとひっかっていた石から離れゆっくりと動きだした。けれど、動き出した灯篭の灯りはどこか頼りない。「止まってた時はあんなに光っていたのに、動き出した途端光が弱くなってる」そう言っている間に灯篭の中の炎は完全に消えきってしまった。「ボニコさんみたい」さっきと同じトーンで言う友人に「そうだよ」と笑いながらも冷たく言い放つ。「止まってる時にエネルギー貯めてるんですよ」だからなんだってんだ。地下鉄で駅まで向かう私と徒歩で駅まで向かう友人。じゃ、とだけ言って去ろうとすると「素っ気ないね」と言われた、帰りたくないとでも言えばよかった?と聞くと困った顔でそれは困ると言う。私は1分でも1秒でも直ぐにでも家へ帰りたかった。1分1秒でも早く泣きたかった。地下鉄の電車に乗った瞬間にこぼれる涙。スマホのメモに気持ちを書き殴ろうと開くと途中で書きかけていた"人ひとりじゃない"という文字。本当にそうかな?帰り道に見た灯篭が何度も灯っては消え、灯っては消えを繰り返す。なぁ、置いていかんでよ。なぁ、その火を分けてよ。素敵な人たちは大好きな人はみんな燃え上がるほどの勢いで流れていくのに私はいつもへんな石に引っかかってとうせんぼ。こんなところでずっとなにもせず消えるのはあまりにも悲しすぎる。灯火無くしたとて、進めよ。合流した先で情熱をもらい火して一緒に燃え上がることができるならたられば。おじさん、ベローチェで見えない敵と戦ってたおじさん、そのシャドーボクシングで私を殴ってくれよ。そしたら、私生まれ変われるような気がするんだ。このどうしようも無い思考も一変、新しい自分に生まれ変われるような気がするんだ。