化石になれない僕たちは
コーヒーで溶かしきれなかった三温糖の上、甘くて厄介な奴らが身体中をザラザラと包み込んでゆく。漂流者のうちの一人である彼女は、無人島にもってゆくものを聞かれた際にいつもロビンソン漂流記と諷喩する。彼女のその言葉の意味に気づいたものは一人もいない。もう一人の彼は引用句をよく好む。「漂流していれば孤独でないと思う事ができる」そう言う彼の横に彼女は"ALLIY TOTAL BRAM BRAM"と指でなぞる。この二人には名前はない。ないと断言してしまえば、それは嘘になってしまうが適切な表現が見つからない。ある時は孔雀とも呼ばれるし、またある時は小枝とも呼ばれる。名称で呼ばれるが自分たちの名前がなにかはよく分かっていない。ただ、目を見つめてなにかの名称を呼ばれた時それは彼らの名前となる。孤独と寂しさの違いはなんなのか、その答えをバーで見つけたんだと彼は話し出す。「頼れる誰かがいるかいないかの違いなんだということでその話は終わったんだ」そう言ってその話も終わった。沈黙の間、彼女は考える。「愛すべき人がいれば孤独じゃないなんて幻想だ」彼女の中の孤独がそう囁く。じゃあ、孤独と寂しさの違いってなんなの?そう聞いても孤独は答えてくれない。それがいつもの孤独。引用句以外の彼の言葉を彼女は信じることが出来ない。それが彼の本当に近ければ近いほど拒絶反応を起こす。冷たいコーヒーの中二人で飛び込んでも、ミルクや砂糖のように交わることは出来ず沈んで化石になってしまうのだろう。それが、彼女の答えだった。本当の彼の言葉を受けいれた瞬間、何かが終わる。受け入れた瞬間、去りたくなくてもそこを去らなければいけない。三温糖の上吹き付ける風は凍えるほど寒いのに、遠くでは花火が上がっている。目に見えるものが信じられない彼女と目に見えないものが信じられない彼。花火が本物だと証明できる術は何もない。"漂流の時間だ" どこからともなくそれはやってくる。漂流が始まれば彼らは新しい名称として生きてゆく。「ではまた」と彼は言うが約束は無い。「お元気で」と彼女は言うが保証は無い。ただ、必ずまた出会うということだけをお互いに知っている。漂流する目的は違くとも、必ずどこかで合流出来ることを彼らたちは知っている。それぞれの漂流の中、彼らは彼らの存在を忘れてゆく。けれど喫茶店の隅に追いやられた砂糖入れを見た時、或いは朝の窓辺でマグカップの底に残った甘い残骸に気づいた時、彼らは彼らの存在を思い出すのだろう。それまで二人は漂流を続けてゆく。これはそこからここ、いやここからここへの話だ。