最後の、おでかけ!
愛されていいんだな
愛されたいのかなじぶん
と『サヨナラまでの30分』をみて、
二度、見て思った。
とりあえずまっけんの
わらっちゃうくらい可愛い表情とめのうごき
は置いといて、
恋愛は親との関係を繰り返してることだ
って本で読んだ
いちどじゃないと思う
親のせいにするんじゃなくて
そうしたいきもちは少なからずあっちゃうけど
俯瞰的にかんがえてみた。
愛されないこと
じぶんのあいてをもとめる欲求が
あいてがじぶんを求める欲求より
つよい、
ていう状況に慣れてる
悪くないけど、良くもない?
圧倒的にじぶんのほうが欲求や興味がつよい、
あいてと
の駆け引きに、
とてつもなく、
というより
重ねて、少しずつ、でもす、ごく長い年月をかけて、
疲労した。
つかれたぁ。
正直ほんとにつかれた。
だれにも頼まれてないし、
勿論そのひとにも
すきでやってたんだろうけど
忘れた頃に
ふっきれたところに、
連絡が来る
「ああ引くと戻ってくるパターンのひとか」
って早々にきづいてたんだけど
てかそもそもあいてがこちらをそんなにすきじゃないから
そういう状態な訳だし
てことで
『サヨナラまでの30分』
観てて、
「愛されてえなあ、」
と思うじぶんにきづいた。
『街の上で』
でもす、ごく思う。
街の上でに関しては、
3回も観た。
そんなに自主的に何回も観たことのある映画、
ないんだよね。
だい、すきなんだよね。
おすすめ。
主人公が、だいすき。
「愛されてえ、」
と強くおもう。
とゆうことで、
わたしは映画からじぶんの感情を教えてもらうことが多々、たたたたた、ある。
無意識化にあるやつ?なのか、
新しくつくりだされたやつなのか
よくわかんないけど、
愛されることの希望は、
じぶんをしあわせにすると解るから
じぶんの求めることとして、
大事にしたい。
そのあいてに、
「すきだけど、たぶんめっちゃすきだけど、
わたしのすきとあなたのきもちは
おなじくらいじゃないから、
苦しかった
けどそれはだれが悪いとかじゃなくて
仕方がないことだから
わたしは違う人としあわせになりたいし、
あなたのしあわせ願ってるよ。」
みたいなニュアンスのことを、
重くならないように、
できたらあいての想いも聴いてみて、
たぶん、
98%の確率で
当たってるきがするから
期待はマイナスになるくらい0を疑わないで、
いこ。
ともだちではいられない、
わたしが出す、結論。
なにも言わずに離れるのは、
さすがに踏ん切りがつかないし、
つけられないし、
また連絡がきたら
嬉しくて会っちゃって
また苦しくなるから、
伝えて、
事実を、
やっぱりね。
と受けとめて、
おもう存分
つぎに進もう。
踏ん切ったら
よく分かんないほど
別人みたいなほど
すっきりスッパリするわたしな気がしてるから
よし、このきもちを抱いたわたしで会うのは、
最後の、
おでかけ、
しよう!