リモートワークにおける暗黙知と形式知をSECIモデルより考える
リモートワークをすると暗黙知からの形式知の重要さをひしひしと感じる。
暗黙知・形式知という言葉は、Wikipedia記載のマイケル・ボランニー発祥より、氷山の一角の例えで捉えるとわかりやすい。氷山の底には暗黙知となる知が隠れている。これを共有したり発展させたい。
言葉に文書といったもので形式知とすると、暗黙知はスポーツにおける身体知や個人に宿るスキルと表される。とくにビジネスの場では属人化を避けるという言葉を用いて、ナレッジマネジメントに使われる言葉だ。
その際に暗黙知をなんとかして形式知にしたいとなる。ドキュメント化がわかりやすい例だろう。
SECI(セキ)モデルで暗黙知と形式知を紐解く
SECIモデルを学ぶと暗黙知から形式知だけではないことに気がつく。
知識管理から知識経営へ : ナレッジマネジメントの最新動向(<特集>「ナレッジマネジメントとその支援技術」)より。
・暗黙知から暗黙知(共同化)
・暗黙知から形式知(表出化)... 言語化・文書化・デザインにあたる
・形式知から形式知(連結化)
・形式知から暗黙知(内面化)
といったサイクルを産むことがわかる。今やっていることがどの地点の活動なのか?を考えるときにフレームワークとして活用することもできる。
たとえば、ドキュメントがあるのに活用できていないのは形式知されたものを暗黙知にする内面化の活動が足りていないといった視点だ。優れた形式知もやってみないと組織に効果が適用されず広まらない。
今保有する暗黙知はどのようにして個人やチームが持つようになったのかというのもこのサイクルから客観的に判断できる。組織の知は人と人を介して活性化するのだ。
詳しくは以下の本より。具体例もまとまっておりわかりやすい。
哲学(とくに現象学)の視点も交えてSECIモデルを語っている。ナレッジマネジメントを語る上で目を通したい一冊だ。リーダーシップ論とあわせて、どの立ち位置で組織として考えていくかが深い視点より学ぶことができる。
共感から始まる知の活性化
上記解説でもSECIモデルは共感から始まると言っている。
心理的安全性という言葉もあるように、組織であれば、まずは人となりというところからはじまるのだろう。誰かに何かを託す・請け負うという基盤は共感がベースなのは納得だ。
リモートワークで感じる対話以外の重要さ
ここでは共感に必要なリモートワークでの対話の必要性を問いたい。
リモートワークのデメリットに対話が少ないという批判がある。無意識に共感が産まれる状況を作り出す環境と手段がないという指摘だろう。
実際にリモートワークをしている身としは不安視しつつも対応できるとみている。職業柄ではなく、それぞれの知のサイクルの視点を持っていれば解決できると見ている。まずは、対話以外から見ていこう。
暗黙知から形式知の流れはドキュメント化を代表に必要。形式知の暗黙知もZoom等のツールで対話を補えると思っている。形式知からの形式知は活動そのものといえる。
これらをおざなりにすると途端に回らないことは想像がつく。その上で前提として対話が必要だと感じるのは暗黙知から暗黙知を必要とする共同化の視点が不安視されるからだろう。
なぜ対話を通じて共同化に至りたいかというと、思考法や信念といった言語化できないものを伝える時に強力な方法だからだ。面と向かって話をする必要性は、この暗黙知から暗黙知の効果性が高いからだと見ている。
共同化(共感)から始まりたいとなると対話だというのは自然な発想だ。
ただし、そもそも形式知化が不足した情報であれば対話に頼りすぎるのもよくない。暗黙知からの形式知化をさぼってお手軽さをとっているだけとも言える。人と人と物理的に近い状態というのはこのお手軽さが便利であった。
リモートワークでの対話はビデオコミュニケーションツールで可能だ。言語としての言葉のやりとりができる。音声だけじゃなくて、顔や身振り手振りだって伝えて受け取ることができる。
対面での対話で感じる物足りなさはあるかもしれないので、補うという視点になるかもしれないが、対話に関しても問題ないだろう。今までが頼りすぎな贅沢な手段だったのかもしれない。
対話の深さは確かにリモートワークでは難しい
その上で、ここではその対話の深さを問いたい。学生で言う所の、サークルのメンバーと朝まで語り合うような共同化が欲しい。いっしょに活動をするという集まりには求められる基盤であると感じる。
深さまで求めると画面越しの対話だけでは伝わらない身体感覚も感じ取れる。SECIモデルの視点を借りると、この対話の深さが重要で、もっと時間をかけて対話する必要性を感じる。なかなか難しいのは承知した上で。
リモートワークだけでは確かに難しいかもしれないと感じる場面がこのレベルの対話の深さだ。徹底的に対話をしたい。そんな場所が欲しいとなる。これは対面が間違いなく有利だ。
そして、それを担っていたのが職場という場なのだと改めて気付かされた。
合宿レベルで人となりを知る活動を通じないと見えてこない。ワイガヤはできない。実際に集まればいいのだが、この集まること自体にハードルがある昨今の状況として捉えると気にしたい視点だ。
今の状態に限らず、リモートワークで対話の深さを考えようということだ。
接点を意図的に作りつつがっつり話し合う日を作る
組織の認識のズレは知のズレを起こすと見ている。対話に頼りたくても難しい環境に今いる。また、今の時代じゃなくても対話に頼りすぎるのは知の側面を一意的にしか見ていないこともわかってきた。
リモートワークでも職場の場を作ることは、表出化をベースに内面化が可能と実践で感じる。形式知は実践そのもの。共同化は今できる対話とは何かの視点で暗黙知から暗黙知へと変える方法を常に持ちたい。
職場のような場というものがリモートワークで求められている。どんな方法なら共同化ができるといえるか。下記で語らえるSECIモデルの解説のように知的コンバットなる一体感を得ることができるのか。
対話だと1on1が思いつく。接点を増やす意味ではこの活動自体は実践していて最低限必要だと感じる。共感となる時間は必要だ。それも1対1で。その上で、深さという視点の場が欲しいと感じている。
そのためには、がっつりと話し合う。一度、がっつりと話し合いましょうという時間が必要なのかもしれない。合宿レベルの話し合いの場は組織の上位層であれば必須だろう。
組織の末端意識。中間管理職視点だと1on1の時間で深く掘り下げる質問力なり対話力が必要だと感じる。むしろ求められていると感じる。共感となる時間を作り出していきたい。
世界標準の経営理論にもSECIモデルについては解説している。共感で得られる主体と客体の一体化を感じるレベルの知の共有を組織として図りたい。