乃木坂

乃木坂46は楽器を持たないMr.Childrenだ〜「自分探し」を続けるJ-POP時代のアイドル〜

2019年3月末に発刊された雑誌「推すコト。」に寄稿させていただきました。

この雑誌は早稲田の4年生の方が「女子大生が卒論で書けなかった『アイドル論』を書きたい!」というコンセプトで12月にクラウド・ファンディングからスタートしたプロジェクトです。


https://camp-fire.jp/projects/view/109951

女性アイドル好きの女子大生が、アイドルの底知れぬ魅力を言語化しそれを世の中に伝えるために、「アイドルの魅力を語り尽くす」同人誌を製作します。

とてもいいコンセプトだなぁ、すごいなぁと、他人事のように思っていたら、原稿の依頼をいただきました。端的に、嬉しかったです。

主催の方は48グループオタだったそうなのですが、あえて僕は乃木坂46について書きました。

なぜなら「なぜ乃木坂が2010年代後半においてトップアイドルでいるのか?」ということに対する答えを、一つ自分の中で出しておきたかったからです。

この論の中で、Mr.Childrenに代表される「平成のJ-POP」と乃木坂46は接続されます。そのことによって、平成J-POPの一つのコンセプトと乃木坂46の本質が浮き彫りになった気がします。

そして予期せず、坂道を登りきってしまった乃木坂46に対して不安に思っているオタクの方々への賛歌になりました。

しかし、発刊される部数は300部だということだったのでもしかしたら乃木オタの方々に届いていないのでは?という不安があり、noteで全文公開させていただくことにしました。

この文章を合わせて約1万字、どうぞごゆっくりとお楽しみください。

(売り切れ間近なので本誌の方も是非)
https://osukoto.thebase.in/items/16905658

1.今、最も箱推しできるアイドル

「箱推しできるアイドル」の条件とはなんだろうか?

アイドル個人であったらルックスやパーソナリティ、個人のライフストーリーなど、様々な要因が簡単に挙げられるだろう。ただ、アイドルグループ全体を推すということは、ただ単に「好きなアイドルがいるから」というだけでは難しい。僕が考えた条件は三つだ。

一つは、グループが未成熟であること。グループの成長過程を目の当たりにすることで、「自分がグループの歴史の証人である」という当事者意識が芽生えることで没入感が生まれる。AKB48の専用劇場システムは、まさに「当事者意識」を芽生えさせるための最良の装置だ。

もう一つはメンバー全員のフラットな関係だ。ただ一人圧倒的なスター性を持つメンバーがいるだけでなく、すべてのメンバーの個性が生かされ、その上でメンバー同士の親密な関係が築かれている光景。その光景を目にした時に「全員を応援したい」という気持ちが芽生える。先日活動の休止を発表した嵐などが、その好例だろう。

最後は、グループを考察するためのヒントがコンテンツにたくさん散りばめられているということだ。少々抽象的な話ではあるが、グループについてもっと知りたいという感情がさらなる没入感をもたらす。発表される楽曲、ミュージックビデオ、衣装、そして彼女たちが出演する番組やドラマ、舞台、ドキュメンタリー。そんな彼女たちについて考えるためのヒントがあればあるほど、よりグループ全体への愛着が深まる。

その三条件が揃っているアイドルグループこそが、「箱推し」できるといえよう。これを踏まえた上で、「今、最も箱推しができるアイドルグループ」はどのグループだろうか。

それは乃木坂46である。

 

2.不思議な一致感

僕が乃木坂46を初めて意識したのは、J-WAVEの深夜放送である。とあるミュージシャンのラジオで、突然彼女たちの「何度目の青空か?」が流れた。基本的にサブカルチャー寄りのJ-POPと洋楽しか流れないJ-WAVEという放送局でアイドルの楽曲が流れるのは珍しく、気になって耳を傾けた。

四つ打ちの打ち込みサウンドに流麗なストリングス、素朴な声で歌われる字余り気味のAメロとBメロ。そして開放感に溢れるサビ。一瞬で耳を奪われた。

次の日から、YouTubeで乃木坂46のミュージックビデオを見漁った。そして、端正に作り込まれた楽曲にふさわしい清廉なビジュアルに引き込まれ、いつしか乃木坂46を追うようになった。

(推しは同い年の星野みなみ、ということは本筋に関係ないので割愛する。)

実を言うと、僕はそれまでアイドルにのめり込んだことはなかった。楽曲単位ではAKB48、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incなどは聴いていた。しかし、どのアイドルも「推す」ことまでには至らなかった。ただ、乃木坂46だけは自然と推せるようになっていた。

なぜ乃木坂を推すことが出来たのか。それは彼女たち自身と楽曲の不思議な一致感である。清楚なルックスのメンバーたちが、素朴な声で、上品で洗練された楽曲を歌う。その姿が、乃木坂46で一番美しい瞬間であるように感じたのだ。いわば楽曲が、彼女たちの魅力が最大限に引き出しているように思えた。だから僕は乃木坂にのめり込んでいったのだ。

そして彼女たちを追い続けていく中で「楽曲とルックスの不思議な一致感」の本当の正体について考え続けていた。すると、僕の中である一つの仮説が生まれた。それは「乃木坂46のアイドル像は、楽曲によって形作られたのではないか」ということである。

そうして彼女たちの歴史を追ってみると、メンバーのルックスと内面、楽曲の言葉とメロディ、そして「乃木坂46」というシステム自体が互いに重なりあっていることに気づかされたのだ。

(補足:ちなみに、『何度目の青空か?』が流れたのはロックバンドKEYTALKの番組。ヴォーカルの寺中友将は乃木坂46のファンを公言している。)

3.オールドタイプなアイドルだった乃木坂46

まずは、乃木坂46が結成された経緯からみていこう。2010年にプロデューサーである秋元康とソニー・ミュージック・エンターテイメントの間で「AKB48公式ライバル」を結成する企画が持ち上がる。

ソニーは元々、AKB48が在籍したレーベルだ。しかし、彼女たちがブレイクしたのはキングレコードに移籍した後であった。そうした経緯から「ソニーでもう一度アイドルグループを」という話が自然と生まれたのだという。そうしてオーディションが行われ、集まった36名のメンバーによって結成されたのが乃木坂46である。

AKB48は「今会えるアイドル」というコンセプトの下で、専門劇場や総選挙といったシステムによって独自のアイデンティティを築いていった。それに対し、乃木坂46にはそのようなコンセプトやシステムは用意されていなかった。劇場もなく、総選挙もない。AKB以前のアイドルたちと、全く同じシステムで活動していくことになった。

加えて、秋元康が彼女たちのルックスイメージから付与したアイドル像もある種のオールドタイプなものであった。

最初から僕は、フレンチポップスをやりたいと思っていて。パリのリセエンヌ的な雰囲気のグループにしたいというのが大まかにありました。フレンチポップスは昔から好きなんですよね。『夢見るシャンソン人形』とか『アイドルを探せ』とかだいたい全部好き(別冊カドカワ総力特集 乃木坂46 Vol.2」より)

秋元が言う『アイドルを探せ』とは、1963年に公開されたフランスの音楽映画と同名の挿入歌のことである。

この映画に出演し同曲を歌ったシルビィ・バルタンは、主役でないながらも日本で高い人気を誇った。そして彼女は日本において初めて「アイドル」と呼ばれるようになる。それ以降、10代の女性歌手に対し「アイドル」というキャッチコピーがつけられるようになっていく。

こうして日本における「初代アイドル」であるシルヴィ・バルタンのように、乃木坂46は清楚で可愛らしい衣装を身にまとった。

そしてフレンチポップスのようにシンプルで素朴な魅力を持った楽曲「ぐるぐるカーテン」でデビューした。つまり、彼女たちに与えられた日本における一番スタンダードなアイドル像だったのだ。このように最初の乃木坂46は独自のアイデンティティを持たない、手探りの状態から始まった。

(補足:セカンドシングル『おいでシャンプー』の間奏は明らかに『アイドルを探せ!』へのオマージュである。)

4.杉山勝彦との出会い、そして自我の芽生え

しかしデビューから1年半後、乃木坂46に「自我」が芽生える。

恋をするのは いけないことか/僕の両手に 飛び込めよ/若すぎる それだけで/大人に邪魔をさせない 

乃木坂46の「制服のマネキン」は初期のフレンチポップ路線からの転換を図った楽曲だ。制服を着たメンバーたちがエレクトロビートに合わせて、歌われるのは「自我の開放」だ。このシングルがリリースされたのはデビューから1年ほど経った頃。メンバーたちはシングルの特典DVDにおける「個人PV」や、舞台などでそれぞれの個性を発揮し始めていた。

「清楚なイメージでスタンダードなアイドル像」=「制服のマネキン」を演じていた彼女たち自身も、それぞれの自我を出し始める。まさに乃木坂46のアイデンティティを生み出そうとしていた時期だった。

「制服のマネキン」の作曲と編曲を手がけた杉山勝彦は、アーティストやアイドル自体のイメージから曲を生み出すことに長けたソングライターだ。中島美嘉に「orion」、私立恵比寿中学に「仮契約のシンデレラ」を次々と提供し、「代表作」と言われるような楽曲を生み出し続けていた。

そんな杉山は「制服のマネキン」の次のシングルも、作曲を手がけることになる。そうして生み出された「君の名前は希望」は、その後の乃木坂46のアイドル像を決定づけるものだった。

ピアノのイントロから始まり、語り出すように歌うAメロとBメロ、そしてストリングスとともに爆発する開放的なサビ。まさにJ-POPのスタンダードに則ったメロディを生み出したのである。秋元康はそこに、自分を押し殺していた少年が少女との出会いによって「本当の自分」に気づいていくまでの内面を描いた歌詞をつけた。

なんにもわかっていないんだ/自分のことなんて/真実の叫びを聴こう/さあ/あんなに誰かを恋しくなる/自分がいたなんて/想像もできなかったこと/未来はいつだってときめきと出会いの場/君の名前は希望と 今知った「君の名前は希望」

抑圧されていた内面が「真実の叫びを聴こう」としたことで解放され、少年は未来へ希望を持つ。

まさに、それぞれの個性と自我が目覚めはじめた2012年の乃木坂46に、与えられるべくして与えられた楽曲だったのだ。この曲を最初に聴いた時、あるアーティストのことが脳裏をよぎった。

Mr.Childrenである。

5.「ミスチル現象」とともに広まった「J-POP」という言葉

Mr.Childrenは今や日本の多くの人が知るアーティストだ。「絞り出すような声と字余り気味のメロディに載せて、悩める男性の内面を歌う」というのが彼らのパブリックイメージではないだろうか。

1989年に結成され、1992年にデビューした彼らは、1994年にリリースした「innocent world」の大ヒットをきっかけに「ミスチル現象」と呼ばれるブームを巻き起こしていく。そして前述のMr.Childrenのパブリックイメージは、「ミスチル現象」の時期に確立されたものだ。

「innocent world」以前の彼らは、良質な恋愛ポップソングを作り出すバンドであった。1992年当時のアーティストは、ドラマやCMソングのタイアップから火がついてブレイクすることが王道とされていた。

フロントマンである桜井和寿はバンドでありながらも、戦略的に15秒のCMに収まるサビを作り、誰もが自己投影できる恋愛模様を描いた歌詞を作り出していた。

その甲斐あって「Replay」や「CROSS ROAD」などのタイアップソングが注目され、彼らの名前は世に広まっていた。ある種、当時のスタンダードなアーティスト像を体現したバンドだ。

アクエリアスのCMソングに起用されることが決まっていた「innocent world」も、同じようなポップな恋愛ソングになるはずだったという。しかし、Mr.Childrenのプロデューサーである小林武史は、桜井にある提案をする。それは「今の桜井にしか書けない歌詞を書くべきだ」ということだった。

桜井はその言葉を頭の中で反復させているうちに、ふと「少しだけ疲れたなぁ」というフレーズが浮かんできたという。

それは、ポップソングのスタンダードに則って音楽を作り続けるために自我を押し殺していた彼の内面から出てきた自然な言葉であった。そんな自然な言葉たちから歌詞を紡ぎ、完成したのが「innocent world」であった。

窓に反射(うつ)る 哀れな自分(おとこ)が/愛しくもある この頃では/Ah 僕は僕のままで ゆずれぬ夢を抱えて/どこまでも歩き続けて行くよ/いいだろう?/mr.myself

社会の荒波に飲まれながらも、成熟しきれず純真さを追い求める男の姿が描かれた歌詞と、キャッチーで素直なメロディは多くの人々に支持され170万枚もの売り上げを記録する。

その後も桜井は、自らの内面を描き出したような歌詞を追求し続ける。1995年にはそんな自我=「es」の探求をテーマにした「es 〜Theme of es〜」という楽曲を発表。

Mr.Childrenのブレイクから楽曲制作の過程を追ったドキュメンタリーも、同様のタイトルが付けられた。この時期を境に、彼らのパブリックイメージは「悩める男性の心の中の葛藤を歌うバンド」と語られるようになった。そして歌詞の中で描かれる「本当の自分を探求する青年」という像は、まだあどけなさを残した20代前半の青年、桜井和寿に重ねられていた。

この「ルックスと楽曲の一致感」も、女性ファンを中心に大きな熱狂を生み出す一因となった。

さて、Mr.Childrenと同じく1989年に生まれ、1992年から1994年にかけて広まっていったある言葉がある。それは「J-POP」だ。1989年に開局した洋楽中心のラジオ局J-WAVEが「洋楽と並び得る/洋楽に影響を受けた、日本の音楽」として定義した言葉である。

最初はラジオ局内だけで使われていた言葉は番組のタイトルとして使用されたことを皮切りに、CDショップや音楽メディアで使われるようになっていた。そして「ミスチル現象」が巻き起こっていた1994年には、一般層にも「J-POP」という言葉が使われるようになっていた。

そしていつしかMr.Children、もとい桜井和寿の口ずさみやすいメロディと内面の葛藤を描いた歌詞は、J-POPの特徴となっていく。1980年代までの歌謡曲のテーマが遠くの風景やどこかフィクショナルな物語だとしたら、J-POPのテーマは成熟し切っていない自己の内面だ。

1990年代以降にデビューした、ゆず、コブクロ、いきものがかり、back numberからは顕著にMr.Childrenの影響が窺える。そして、「君の名は希望」を作曲した杉山勝彦も、彼らの多大な影響を受けていた。

6.J-POPの時代に最適化された乃木坂46

1982年に生まれた杉山は多感な10代を彼らの音楽と共に過ごした。ミュージシャンを目指すきっかけも2001年に開催されたMr.Childrenのツアーを目の当たりにしたことだという。いわば、彼の音楽の原点には「ミスチル」があった。そして「君の名は希望」には、口ずさみやすい素直なメロディ、ストリングスとピアノのアレンジ、終盤の転調などMr.Childrenの楽曲と共通する部分を幾つか見つけられる。

そのメロディに引き寄せられたかのように、秋元康が紡いだ歌詞からも「内面の葛藤」という「ミスチル」的なテーマが感じとられる。そして、乃木坂46自身の状況に言葉とメロディが重なり、この楽曲は彼女たちの象徴的なものになった。前述の通り桜井和寿の内面と言葉、そしてメロディが重ねあわされて「innocent world」がMr.Childrenを変えた。

それと似たような現象が「君の名は希望」で起こったのである。

この楽曲で示した彼女たちのイメージは、そのまま乃木坂46のパブリックイメージになっていく。フレンチポップスを意識していた彼女たちの楽曲には、四つ打ちのビートやギターサウンド、ピアノとストリングスなど、J-POP的なプロダクションが用いられるようになる。

そして秋元康の歌詞も、「自分探し」、「本当の自分」といった「自分の物語」という主題が見え隠れし始める。

秋元がおニャン子クラブやAKB48グループの作詞で示しているのは、歌謡曲的な世界観だ。自己の内面を探ることは少なく、一般的な恋愛の情景や時代精神を描ききる。象徴的なのはAKB48の「RIVER」だ。これは「川」という象徴を通して平成を生きる若者の時代精神を主題に置いた楽曲である。

それに対し、乃木坂46の歌詞には時代精神や情景の記述は歌の中では副次的なものになり、個人の内面の変化にフォーカスが当てられる。これはMr.Children以降のJ-POPの主題と共通するテーマである。

そのことを象徴する出来事として、彼女たちのセカンドアルバムのリード曲「きっかけ」が桜井和寿によってカバーされたことが挙げられる。

彼は「きっかけ」について、MCでこのように語っている。

「ものすごいいい曲なんですよ。桜井が書いた歌詞でしょ、と思えるくらい、すごい近い感じなんですよ。」(『Golden Circle Vol.20』MCより)

これに加え、桜井はこの楽曲について「小林武史アレンジのMr.Childrenの曲」と評している。乃木坂46のJ-POPナイズされた楽曲は、J-POPの「本家」からもお墨付きをもらったのである。

そして彼女たち自身の内面や個性は、様々なコンテンツによって拡散され定着していく。前述の個人PVをはじめ、「NOGIBINGO!」や「乃木坂ってどこ?」、「乃木坂工事中」といった番組やメンバーが出演する舞台、そしてドキュメンタリーによって広まっていった。近年では彼女たちがバラエティ番組で活躍する姿もよく観ることができる。

いわば清楚で可憐というイメージの「スタンダードなアイドル」だった乃木坂46は、個性と自分らしさというテーマが付与されることによって「J-POPの時代に最適化されたアイドル」へと変貌していったのである。楽曲とメンバーの個性がシンクロしながら、彼女たちは日本を代表するアイドルに成長していく。

7.メンバーの個性が生み出す「乃木坂らしさ」

メンバーの個性と自我の探求が、乃木坂46を作っていく。

そのことを象徴するエピソードがある。秋元康は2015年で神宮球場ライヴの反省会で、「乃木坂らしさ」という言葉が盛んに使われていることに違和感を感じたという。そこで秋元はアルゼンチンの町、カミニートを例にとった話を始めた。

「(カミニートは)港町なんだけど、淡いピンクや淡いグリーンでものすごくキレイ。ところが近づいてみると、一戸一戸の家は濃い原色で、しかも半分だけピンクとか半分だけブルーとかなの。(中略)その行き当たりばったりでバラバラな感じが、遠くから見るとすごく美しい景色になる。グループもそれと同じで、みんなが同じ方向を見て一つの“らしさ”を作るんじゃなくて、それぞれが勝手に自分の色を出して、それが合わさった瞬間に、今までになかった得も言われぬ色が生まれる。それが本当の“乃木坂らしさ”なわけで」(別冊カドカワ 総力特集乃木坂46 Vol.2 より)

この言葉は乃木坂46というアイドルを定義するのに、最もふさわしい言葉である。総選挙や劇場公演がない、ある種フラットなメンバー構成であるがゆえに、メンバーそれぞれの個性が乃木坂46という一つのパーソナリティを作りあげている。そしてその言葉がプロデューサーである秋元康によって語られたことで、初期にはなかった乃木坂46の方向性が三年を経て定まったことがうかがえる。そして2014年発刊の雑誌『OVERTURE』において生駒里奈は「乃木坂らしさ」について、このように語っている。

「いわゆる“乃木坂らしさ”に合わせても面白くないですから。個性はバラバラなのにひとつにまとまって見えるのがいいんじゃないかな」(『OVERTURE』巻頭特集『逆襲の乃木坂46』より)

8.「シンクロニシティ」で見つけたアイデンティティ

そんな乃木坂46の精神的支柱である生駒が、2018年3月に卒業を発表した。デビューから7年を経て、グループは大きく変わりつつあった。深川麻衣や橋本奈々未、伊藤万理華といった最初期から乃木坂46を支えてきたメンバーたちが卒業。さらに、2017年には目標にしていた東京ドームでの公演を成功させる。初期メンバーの卒業と目標の達成。それらは、今までの乃木坂46像を揺るがした。彼女たちはそのような状況下で、新たな「乃木坂らしさ」を探しているように思えた。それに加えての生駒の卒業発表は、乃木坂46におけるある種のアイデンティティ不安を加速させた。

しかし彼女の卒業シングル「シンクロニシティ」は、あえて乃木坂46という存在自体の内面を描ききることで新たな乃木坂46の可能性を感じさせるものになった。

エレキギターのリフと四つ打ちのリズムから始まるこの楽曲は、字余り気味のAメロに続き祝祭的なコーラスが聴こえて来る。そして、サビはかつてのようなドラマチックな展開ではなく、どこか抑制的なメロディとリフレインが繰り返される。

そしてサビの最後で歌われるのは「ハモれ」というフレーズだ。ここで示されているのは、「個」と「個」が繋がりあいハーモニーを奏でることでお互いの感情を共有し合う姿— つまり乃木坂46そのものについてであった。

ミュージックビデオにおいては、楽曲の内容に呼応するように一人一人のダンスが連鎖していく彼女たちの姿が映し出される。生駒の卒業という大きなタイミングで、それぞれの個性が乃木坂を作り上げる姿を楽曲によって示したのである。「シンクロニシティ」で彼女たちは結成当時から探し求めていた自らのアイデンティティを見つけた。つまり「自分探し」は一度終わりを告げたのだ。

9.乃木坂46の終わりなき旅

では、彼女たちは自分を見つけ「成熟」してしまうのだろうか。否、乃木坂46の自分探しの旅は続く。メンバーが卒業し、新メンバーが加入するというモーニング娘。以降定着したグループアイドルのシステムによってアイドルグループは永遠に成熟せず、成長過程を見せることができるようになった。加えて、Mr.Children以降のJ-POPは、「成熟せず自分探しを続ける自己」を描き続けている。そして、乃木坂46自身はメンバーが変わり続けることによって新たな「乃木坂らしさ」を創り上げ続ける。

アイドルグループとしてのシステムやJ-POPにコミットした楽曲、そして彼女たちの抱える主題が重なりあうからこそ「今、最も箱推しできるアイドル」なのだ。

乃木坂46デビューから8年目に突入し国民的アイドルとしての位置を不動のものにした。彼女たちはまだ、成熟しない。だからこそ僕たちは、乃木坂から目が離せない。

参考・引用文献

「別冊カドカワ 総力特集乃木坂46 vol.2」 KADOKAWA

「OVERTURE No.001」 徳間書店

「若い読者のためのサブカルチャー講義録」宇野常寛 朝日新聞出版

桜井和寿氏のMCはエキサイトニュースが2016年10月25日に公開した記事「Mr.Children桜井和寿がバンプ・乃木坂46をカバーした理由とは?」から引用しています。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1476719182891/?p=3

なお、文中のMr.Childrenについての言及はTAP the POPにて掲載した拙文「J-POPという言葉とともにMr.Childrenは成長していった」を基に再構成したものです。

http://www.tapthepop.net/era/79305

http://www.tapthepop.net/era/86485

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