このnoteは個人的に考える安楽死と尊厳死についてを書きます。 今まで考えるだけで文に残してなかったので書いてみました。 とりあえず分類①患者への致死薬投与(本人による安楽死の希望が明確) 本人の意思があり、インフォームドコンセントが成立するので医療的安楽死。 ②患者への致死薬投与(本人が安楽死を希望していない、又は意思表示できない場合) 本人の意思がないので親族の同意があっても殺人。本人とのインフォームドコンセントが成立しないので反医療的安楽死。 ③末期患者の延命装置
子供の頃、なにか人に悪さしたときに 「人にされて嫌なことはするな」と親は言う。 だがそんな当たり前なことを言ってもなんの解決にもならない。 ただ一つできることはその「人にした悪さ」を親が当人にすること。 そもそも人にされて嫌なことを何故するかと言うと、 当人はされることがないから。(又はされたことがないから) なので経験させることでより理解できる。
引きこもり報道がありハフポストで次のような記事が出た。 川崎殺傷事件「ひきこもりではなく、"孤立"に目を向けて」 ひきこもり当事者団体がメディアの報道に注文 報道とこの記事をみて思ったことを率直に書いていく。 引きこもりと犯罪が紐付いているのはメディアの印象操作だけでなく 「多くの視聴者の『誤った平等感』という考えから」という考え。 誤った平等感はまず学校のイジメを引き起こす自分の経験から学校でのイジメは「協調性」が関係していることが分かっている。 イジメは 協調性
『現在このツイートは削除されています』とそのツイートのスクリーンショットが載せられているツイートやサイトを一度は見たことあると思う。ただすべてが本当にツイートされたものとは限らない。 ツイートが本当に削除されている、フォロワーがほとんどいない(フォロワーが多いと削除されるまでに多くの人に見られるから)場合に限るといくらでもフェイクツイートをつくることができる。 例えば令和を予言したツイートは2016年にツイートされたものだけど 画像だけであれば下のように2010年にツイー
小中学生のときのこと 親にこうしろと言われたわけでもない 今思うとなんでそんなことしてたのかとなるんだけど 当時はこうしなければならないと思い込んでいた よく体調を崩していたので年に2,3回は欠席していた (いま思えばほとんど仮病で適当にだるいだの言ってたんだろなぁて気も するけど) 家庭環境を簡単に説明すると 父親は絶対学校主義で欠席なんて許さない感じの人で 母親は逆に「無理をしないでいい」て感じ、だけど父親には逆らえない 欠席をする日は父親が仕事に出てから母親に体調
まずはじめに、このnoteはabemaTVのabemaprime(アベプラ)を観て思ったことをだらだら書いていくだけなので番組内で議論されてないことや少し話がそれていることもあるのであしからず。 元号は果たして必要なのかまず山根弁護士のいう憲法違反の話は全く理解できないけど、元号を書類で使うことに少し気になることがある。池澤さんが言った「友達の免許証の期限が平成39年…」の話で、もし今の元号を絶対使わないといけないということであれば自分は元号は必要ないと思う。例えば平成31
ー(マイナス)三日坊主。自分で勝手に作った言葉で、続かないのではなく、後回しにしてする気が起きないこと。やるやる詐欺みたいな。 十日前にアカウントを作ってから今日まで何度かnoteを書こうと思いはしたけど結局後回しにしていた。そんな自分を見て三日坊主の逆だなぁと。 noteですること①AbemaTVのアベプラで#アベプラを使いたいだけにtwitterを使ってたけど最近全部twitterだと面倒だなぁと思えてきて、noteと使い分けようということで、twitterで実況をし