ボーアンヌとは?年齢は?経歴は?恋人はいるの?調べてみました!
調べてみたけどよくわかりませんでした!
いかがでしたか?
はい、この流れ一度やってみたかったんです。
自己紹介
アラサーの男です。身長は平均以上で体重は平均を遥かにオーバーのメタボ野郎、そして彼女いない歴=年齢です。
ボーアンヌという名前の由来は忘れました。ただ、google検索した時に(記事作成時点で)何も引っかからないのは何かいいなと思うのでそのままにします。
学歴は大卒、職業はマニュアル通りにしか動けないIT作業員、趣味はゲームと漫画とyoutube、何かに詳しいわけでも熱中しているわけでもないがとりあえずオタクに分類される、休日は実家で過ごす子供部屋おじさん…自分で書いてて悲しくなりますが、将来の貧困予備軍だなと感じています。今も給料は低いし生活力もないので予備軍ではないのでは?
日本に同じような方は多くいると思いますが、もしかしたらnoteには少ないのかもしれません。特殊な背景や尖ったものを持っている人が意見を披露したり議論したりする場のように感じていますので。いや、やっぱりそうでもないんでしょうか。
生誕~中学
良い家族のもとに生まれたと思います。「親ガチャ」でいえばはずれの部類ではないでしょう。私が「子ガチャ」のはずれとも思っていない…はず…きっと。そうであることを願います。申し訳ない。
神奈川で生まれ、地元から出たことはありません。
昔から引っ込み思案な子だったそうです。よく泣き、よく食べ、よく眠る子だったとも。小学校入学までは公園、母親ネットワークにより友達に困りませんでした。
小学校に入ると途端に友達ができなくなります。それまでの友達は学区外へ通ったり、残った子も引っ越していきました。
友達のいない引っ込み思案がやられることと言えばいじめです。大体小学校生活全てを通してからかわれる側でした。運動音痴なのも影響したでしょう。
家族や教師にはよく守ってもらいました。そのため子供より大人といる方が安全だと思っていたのか、休み時間は職員室の近くに足を運び、放課後も家にいることが多かったように思います。
しかし学年が進むにつれ、だんだんと話せるようになる子が出てきました。きっかけは何だったかわかりませんが、高学年になるころには普通に「友達がちょっと少なめだけど、問題はない子」くらいにはなったはずです。そしてこのころから思い始めたことがありました。
あれ?もしかして僕は勉強ができる方なのでは…?
ギフテッドとかではありません。目に見えてわかる天才は別にいました(風の噂では東大?海外の大学?へ行ったとか)。しかし勉強をつまらないと思ったこともありませんでした。このころから塾に行き始めたのですが、その影響も大きいでしょう。
中学に入るとその考えはより強くなります。またもや友達が別学区に行ってしまったため、人間関係には苦労しましたし軽いいじめもありましたが、テストの度にでる順位や点数が僕に安心感を与えてくれました。
俺は勉強ができるんだ。
小さな学校内の関係に捉われているなんてばかばかしい。
このまま順調にいけば一角の人物になれるだろう。俺は人生の勝者なんだ!
地域でトップクラスの高校に合格し、周囲の人間の色がガラッと変わり、友人もすぐにできました。
――――――自意識の絶頂期でした。
高校
高校2年になったころ、そこには授業時間のほとんどを睡眠に費やし、苦手教科で赤点を取り、同じように成績の振るわない友人たちとダラダラ過ごす私がいました。
兆候はありました。高校1年の時点で明確に数学ができなくなっていきました。その次は理系科目が、その次は英語が……。あんなに楽しかった勉強が苦痛になっていく。一夜漬けは通用しない、わからない、眠い、何もしたくない。
大学受験のため大手の塾に通わせてもらいました。授業を聞いている時はわかるのに頭に定着しない、成績がどんどん下がって行く、ここにいても無駄だ塾を変えよう、ダメだった、サボろう、大丈夫だ俺は頭がいいんだ…
完全に努力不足です。タイムマシーンであの時に戻っても果たして未来を変えられるか…変えられない可能性が高そうです。
高校3年になって最初の進路面談の時、現実を見ずに国公立だの早慶だのとほざく私へ先生ははっきり言いました。
そんなこと当然わかってる。浪人してもきっと成績は下がるだろうし現役で行かなきゃな、単に大学に通うだけじゃ学費の無駄だから、在学中にしかできないことをして将来のために生かそう、お前は一角の人物になるんじゃなかったのか?今のままでいいのか?よくないだろ。
――――――でもまあ、どうしようもない
ゲームなら完全に選択肢を間違えましたね。
高校3年一学期のテストで2教科の赤点をとり親は激怒。成績のことで怒られたのはこれが唯一です。ゲームやパソコンに制限がかけられ、できるだけ人の目があるところで勉強するようにさせられました。そんな中でもどうにかサボれないかと頑張る私でしたが、結局環境に流される人間らしく、見るも無残な成績から多少は改善されました。
そして迎えた大学受験。(理系ができないから逃げの)私立文系一本に絞った私の結果は……
私立A大合格
A大は中学の私から見れば「え、A大?ええー……そこ?お前高校で何してたん?」という大学ですが、とにかく一定以上の大学ならばどこでもいい当時の私からすれば「よし!まだ大丈夫!ここならよし!」と喜べるところでした。
高校で仲良くしていた友達は、みんな偏差値でA大以上のところに行きました。劣等感を抱きましたし仮面浪人も考えましたが、これ以上親に負担をかけられませんし自分で学費などを工面する根性もありません。A大への進学を決めました。
進路面談をした先生とは合格後、話したことはありません。先生はどんな反応をしたのでしょうか。もし機会があればきっとこんな会話をしたと思います。
逃げるように会話を打ち切り、先生はため息をついて、すぐ忘れたでしょう。どの年にもいる特徴のない落ちこぼれが、とりあえず無事に卒業しただけです。
こうして入学した時の自分からは想像したくなかった状態で、高校を卒業しました。
大学入学以後のことは次に書こうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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