攻勢終末点を考える
NHKオンデマンドで「英雄たちの選択」をよく見ます。磯田道史先生と杉浦友紀アナが司会をしている歴史番組です。先日「幕末最強!庄内藩の戊辰戦争〜徳川四天王・酒井忠次の遺伝子〜」を見ました。「幕末の戊辰戦争。奥羽越列藩同盟の中で唯一、新政府軍に勝ち続けた庄内藩。立役者となった二番大隊長・酒井玄蕃は徳川四天王・酒井忠次の末裔。その強さの秘密と選択とは?(NHK番組ウェブサイトより)」。庄内藩は酒井玄蕃を指揮官に、新政府軍に連戦連勝を続けます。しかし他藩は次々降伏し、残るは庄内藩だけになってしまう。その時に「降伏か、徹底抗戦か」の選択を酒井玄蕃は迫られ、どのような意思決定を下したかのストーリーでした。
番組では「徹底抗戦論」が多く語られましたが、結論からいうと降伏したのです。それに関して磯田先生の解説にしびれました。「戦争には攻勢終末点がある。ここが攻めていける限界の点です。これを看破・見破るのも軍略家には必要でこれ以上行くと、たぶん領内に踏み込まれてから講和することになる。すると相当、譲歩しないといけなくなる。よって降伏はこの瞬間しかないと考えたのでしょう(番組のコメントを簡略して記述)」。さすが酒井玄蕃だと思いました。精神論で立ち向かうのではなく、冷静な意思決定を行った。実際、明治の世の中になってから庄内藩は新政府に大いに優遇されました。
攻勢終末点はクラウゼヴィッツが戦争論で提唱しています。おそらく軍略家や戦略家ならクラウゼヴィッツ以前から意識してきた概念だと思います。しかし残念ながら、太平洋戦争での日本の参謀たちにはこの概念がなかったのだろうと思います。同じ日本の軍人・政治家でも、日露戦争ではこの点を最初から意識してやっていただけに不思議です。太平洋戦争では攻勢終末点を考えず米国と戦争に突入し、多くの悲劇が生まれたのは確かでしょう。
今現在ですら、戦争はなくなりそうにありません。国家間の戦争に限らず裁判や訴訟と言った個人間の争いも同じです。攻める側も抗う側も自分なりの正義をもって争うわけです。戦争はエスカレーションするという性質を持っています。だから当事者同士、やりたければやればよいと思いますが、その間の貴重な時間とエネルギーをネガティブなことに振り向ける徒労感を考えたら「講和」「和解」をするほうがよほど賢い。それこそ攻勢終末点を考え「自分なりに納得できる時点」を引いて上手く和平交渉に臨むほうが、長い目で見て良い結果をもたらすでしょう。「退いたと見せかけて実は勝つ」。優れた意思決定とはそのようなものではないでしょうか。まだまだウクライナもガザも続いていますが、今年はそんなことを考えるクリスマスの週でした。