病院からメーカーに転職して1年半経ったので経過報告します
お久しぶり&初めまして
年が明けて2025年、皆様いかがお過ごしでしょうか。
タイトルの通りなんですが、僕は約9年ほど病院で看護師として働いていたところ、ひょんなことから今は某メーカーの専門職として1年半ほど働いています。すごいよね。
なので正月休みでダラダラしてるのもなんだなということで現時点での振り返りを書き殴っていきます。
先に言っておくと特に学びとか再現性などは全くないと思うので一人の人間の人生の一端を覗き見る感覚で読んで頂ければ幸いです。
看護師として
そもそもの人生の振り返りをしていくと、僕は港町と温泉街がちょっと有名な片田舎の長男として生まれました。学校の成績は可もなく不可もなく、進学校にいくのもちょっと違うなと思っていた中学生当時、五年一貫の看護学校がたまたま近くにあったので「まあ職には困らないだろう」くらいのノリで15歳にして人生の進路を決めるという暴挙に出ました。
今振り返ってみるとこれは僕の人生の中でもかなりファインプレーに近い選択だったのではないかと思います。
それなりに順風満帆な学生生活を送った後、今だと炎上するだろうなってくらいイキりにイキり倒して国家試験を合格し、無事に看護師の国家資格を取得することができました。
看護師として最初に勤めた病院は療養型の慢性期病院でした。
なぜ慢性期を選んだかというと急性期は怖かったからです。
だって実習の時の急性期病棟の看護師が全員怖かったからね。
ましてや今のようにキャリアなんて考えたことも無いわけで…
田舎の病院でそれなりの給料でそれなりの仕事をしてそれなりの年齢で結婚してそれなりの家を建ててそれなりの生活をするものだと思っていました。
…まあ結果的に慢性期で緩やかに働いてたかというと全然そんなことはなく、性格の悪いお局にちぎっては投げ(られ)ちぎっては投げ(られ)ていました。今でもあの頃が一番人間関係に悩んでました。
変わったきっかけはやはり呼吸療法認定士の受験だったのだろうと思います。その頃から学ぶこと、実践すること、振り返ることが習慣化してきた気がします。
その後呼吸療法認定士を取った辺りから漠然と「急性期も面白いんじゃね?」と思い、なんなら「クリティカルケアって面白いんじゃね?」と思い立ち人生最初の転職へと踏み切りました。
転職したのは急性期の二次救急総合病院でした。
ここでの仕事や出会いが今の自分を作ったようなものですが、今回は割愛します。(関連の皆様いつもありがとうございます)
そして病棟を少し経験した後にほどなくICUへ異動となり、クリティカルケアの奥深さにどっぷりと浸かることになりました。
そこそこICUでの業務も慣れてきたころからふと思っていたことがありました。
それが特定行為研修の修了と学位の取得です。
元々人工呼吸器の管理にとりわけ興味があったのですが、通常設定変更などの直接的管理というのは医師でないとおこなえないものになっています。
ただ現実問題タイムリーに設定を調整できないと悪くなるのも辛い思いをするのも患者です。
その辺りにモヤモヤしていたので包括的指示の下とはいえある程度裁量を持って調整ができるようになりたかったのです。
…とお行儀よく言ってますが要は「俺がやった方が早いんちゃうんけ💢」と思ってただけです。
そして学位ですが、将来のことを考えた時にやはり高卒のままだと苦しい気がする…とは感じていました。
5年一貫校卒から学位を取るには通常大学に編入学する形となるのですが、実は学位を取るだけであれば放送大学を利用して通信制で2年間通った後、学位授与機構から学士認定を受ける資格を得ることができます。
なので放送大学と特定行為研修(人工呼吸器、栄養管理関連)を両立し、約2年でどちらも修了しました。(ちなみに当時特定行為研修の中の共通科目にある薬理学の試験勉強が本当に辛くて円形脱毛症になりました。悲しい。)
あれよあれよと時が経ち、その頃には漠然と30代以降のキャリアについて考えることが増え、企業、特にメーカーの専門営業職に挑戦したいという気持ちが強くなっていました。(カッコよく言うとクリニカルスペシャリストといいます)
転職活動
幸い僕にはX(旧Twitter)で知り合った方々から助言をもらえる環境にあったので転職活動における履歴書、特に職務経歴書の書き方については他の人よりはアドバンテージがあったのだろうと思います。
それでも転職活動期間は学位の授与前から開始していたため、大した功績もなく英語もできない(TOEIC300点台)高卒の看護師を取ってくれる企業なんてほとんどありません。武器にできるのは若さくらい(当時28歳とか)
試しに書類を出してみて門前払いがほとんどでした。
といっても何十社も出してたわけではなく、なんとなく踏み切る勇気も出てなかったんだろうとも思います。
そんなこんなで病院で働きながらたまに求人をチェックしていたところ、珍しい求人があったのでまた軽い気持ちで書類を出してみたらなんとカジュアル面談が決まりました。
まさか通ると思っていなかったのでやや狼狽しながら面談を受け、本面接に行ってくださいと言われ、気づいたら内定が出ていました。(後から聞いたところ、それなりに競争率が高かった求人だったようです)
人前で話す機会に恵まれてきたので元々面接には多少自信がありましたが、まさか本当に内定が出るとは思わず、当時担当してくれていた転職エージェントが自分より興奮してくれていたのを思い出します。
そんなこんなで29歳、臨床看護師からメーカー専門職への転職が決まりました。
転職活動期間は約1年、未経験領域と考えたら上出来でした。
転職して感じたこととか
ビジネスマナーとか
高卒で、アルバイトの経験もスーパーのレジ打ちとか、水族館の食堂でそうめんを運ぶ仕事くらいしかしたことがなかったので、ビジネスマナーなどの常識は大丈夫だろうかとかなり心配でしたが、結果的には杞憂に終わりました。
最初から一人にさせるなんて限界病棟のようなことはあまりないので、意外と他の人の真似をしていけばなんとかなるものです。
恥をかいてもその後覚えれば問題ありません。
特に僕たちは専門職として雇われている以上、求められている能力は高いビジネスマナーではなく、高い専門性だからです。
ビジネスマナーはあくまでマイナスを作らないための手段で、プラスを作るのは専門性です。
(たまにビジネスマナーやofficeソフトを詳しくなることに躍起になって、武器となる専門性を磨くことを疎かになっている人がいますが、まさに手段の目的化であろうと感じます。)
社内営業とか
よく社内営業はくだらない、不用だという意見がXではまことしやかに囁かれていますが、僕はゴリゴリに必要派です。
会社はなぜ自分を雇ってくれているのか?という視点を持たないと会社が欲しがる成果を出すことにも繋がりませんし、総合職ではなく専門職として看護師の経験や知識を活かして成果を上げて欲しいと雇われた以上、専門性を活かすための土台を作るのも職務の一部だと思っています。
なので営業や技術職には隙あらばゴリゴリに専門性をアピールし、依頼が来たら120%で返すことを意識し続けました。
今では新規領域の開拓事業やアイデア出し、開発関連など指名付きで任される仕事が増え、成果にも大いに繋がったので結果的に正解でした。
置かれた場所で咲きなさいという言葉がありますが、個人的には咲ける場所で咲こうとする努力が必要だと考えています。
能力が発揮でき、評価されるというのは簡単なことではなく、自分と周囲を分析した上で自分の能力が最大限に発揮できる場所はどこかを見極める力も重要な能力です。
輝かしい功績や能力があれば周囲は放っておかないでしょう。
しかし、そういったものを何も持たない僕らがビジネスの場でサバイブするためには、持っているカードが最も強くなる場所を探しに行くか、場所そのものを作り変えていく必要があります。
置かれた場所が良くないのであれば、良い場所を探しに行くか、土壌を改良したら良いだけの話だと思います。
コンプラ意識
ここまで読んでくれた皆さんはお気づきのことと思いますが、今の組織で何を作っているのか、具体的にいつもどう仕事しているかは全く触れていませんし、触れません。
Xを覗けば今日も患者の個人情報をつぶやいたり勝手に患者の写真をアップロードしているリテラシーの低い医療従事者がいるでしょうが、正直メーカーの立場でこんなことしたら一発アウトです。
以前から気を付けてはいますが、今は更に所属が特定されると一人の意見ではなくなると考えておおっぴらにSNSには書かない意識が強くなりました。
おわりに
頭が正月モードで飽きてきたので今回はこの辺りで締めくくります。
自身の立ち位置を認識し、手段と目的を明確化させることを忘れなければ後はトライ&エラーで結構なんとかなるような気がしています。
とりあえず年始からまた仕事頑張ります。
それではまた