僕だけの幸福論
はじめに
これは言語化できる範囲で書きました。もちろん認知できない事象にも幸福の鍵は隠されていると思います。
僕の考えは哲学と経験、精神医学等から来ているものが多いですが、大雑把に言えば心身が健康⇒幸福とみなしています。
その上で、幸福になる為の細かい要素を箇条書き形式で洗いざらいします。
複雑な相互作用も絡んでいるので、どっちみち綺麗に書けません。
幸福の条件
幸福の条件は、先程も言ったように心身の健康です。
しかし、その内の適切な関係性、目標の達成に関しては量が多いから大きな段落分けとしました。
心身の健康
健康でなければ他の事に目は向けにくい為、幸福のベース条件である。
規則正しい生活を送る。栄養に偏りなく1日3食して、歯磨き、お風呂、散歩、22時に寝て6時に起きる。
朝日や食事からセロトニンをしっかり摂取する。
常に他人と情報交流を通じ、比較修正する意識を持つ。それによって認知の歪みを抑えたり、現実に足を着ける。
感情と理性、現実と理想のような、両極端だとデメリットが発生する事に関しては中庸を保ちつつ両方の要素を伸ばしたい。
これらは対立軸に見えて、実は二次元ベクトルだから共存できる。およそ斜め45度へ向かうのがベスト。
特に現実と理想に関して。現実に傾きすぎれば絶望するし、理想に傾きすぎれば発狂する。
狂気は、抑圧されたエネルギーであり認知しにくいストレスの形。祭りや創作、散歩、鑑賞、リラックス等で計画的に狂気を発散、昇華する。
このようにリフレッシュや、更に環境の調整を行うことでストレスマネジメントができる。
出掛けるのは遠すぎない場所。余りにも綺麗な辺境へ行ってしまうと心が浄化され過ぎて、それは本来の自分ではないから精神が耐えられるだろうか。
また、皆が大声を出す環境は僕が発狂しそうになる。
気が病だから積極的にポジティブ思考を心掛け、ネガティブな思考ループを断ち切る。
感情は伝染する。嫌な情報からは距離を置く為に環境を調整する。どれだけ理性で取り繕おうと受け取る感情の量は変わらない。
場馴れして無いなら数こなせば、正念場で力も出しやすい。
欲望は無尽蔵だから、無理な事は無理にせず、無為自然に近い状態で生きる。そうすれば単純に健康でさえあれば良いから、幸福の条件はかなり緩くなる。
現実的には、努力と自然のバランスを取って欲をコントロールする形になる。
快楽と苦痛、浪費と倹約、高慢と卑下、無謀と臆病のような関係性もまさしく中庸を取るべきものだ。
人間は行動を抑圧できるかわり、狂気に陥うる。
その場合、多くの人間は陰口や暴力などの非行、鬱や統合失調症、自律神経失調症等の精神病という形で突出する。
世界のバランスを取る事は狂気の上昇を抑え、リフレッシュは計画された発狂を行う。
正気を保つことは、幸福を保つことでもある。
しかし人間にはいつか老いが来る。その時、一番大事にしていた健康が損なわれるが、それの根本的な対抗策は分からない。
その時は、きっぱり希望も生きる意志も捨てて、全てを悟れるだろうか。
理性では考えつつ、本能が苦しみ続けるだろう。
軽く受け入れるには出来る限り現世で有意義をやりつくしたい。来世があるか不明だが、その時はどうせ前世も忘れてる。
それでも満足ができたなら全部忘れても良い。
奴隷道徳をやめる。攻撃しない。バイアスに惑わされない。白黒付けれるものは少ない。
いくらでも上を見れる現代社会では難しいが、まずは自分そのものを肯定したい。
攻撃すると、周囲が悪く変化するだけでなく自分も腐る。思想が変に偏りすぎると結果的に幸せな方向に行かない。
SNSの情報を鵜吞みにせず、自分自身で比較検討する。両極端な意見と中庸な意見をある程度収集しないとそれはできない。
何が何でも最適化し過ぎず、無駄という贅沢を残す。
特に娯楽はタイパを求めない方が良いし、色々学ぶにしても無駄道を沢山通る事で結果的に最短ルートがわかる。
また、理論値で走り続けると燃え尽きるから進捗は最速の3倍で見積る。
本当に何もしない時間を適度に作れば、心も体も休まりやすい。
趣味も仕事も内向的動機付け重視で行う。
お金や名声よりも先に、好き×やりがい×性格が合うのが良い。
タスクを早めに整理して終わらせる事で脳内RAMを空ける。その分だけ不安が消え、手が回る。
部屋はある程度綺麗にする。
感動は幸福をつかさどるドーパミンが分泌される。その機会を増やす為に意識して美に触れたい。
皆が目を向けない些細で変哲のない事に気付けるなら、簡単に感動できる。
また創作というプロセスを踏んで、美を人工的に生産できるから、他者も感動させられる。
そして自分自身、他者の思考や行動を良い方向に変容できる。
適切な関係性
自分の望んだ場所で望んだ関係を結び、嫌な関係は断ち切るか無いフリをする。多様性とはもちろん他者の理解が第一だが、それ以上に限界があるから適度な棲み分けをしつつ共存するのが大事。
できる限り世界にリスペクトを持つ。
同じ色のコミュニティなら、仮面が薄くても良いから健全でフラットな関係を結びやすい。それが僕の帰る場所で支え合って共生する社会。
関係を拒否し内向に閉じこもるのではなく、ものづくりを通じて世界と個人主義的な関係性を持ちたい。
関係を通じて愛をギブアンドテイクできる。それが承認欲求や自己肯定感を満たす事になるし、お互いにいい気分になれる。
基本的に他人は定数、しかし創作や身内においては他人を変数とすれば感情は乱されにくい。
人間関係を壊さないために基本的に情念を抑える。
排他的にならない。弱いものいじめをしない。
いじめても良い空気感が跋扈してたら、それを全部壊しに行く。
自分に大きな実害が出ない限り寛容に行く。
寛容な人間が居るのも排他的な人間が居るのも、自然な多様性ではあるが、ある程度排他性を除いた方がより多様な個性が認められる。自分も他人も全部。
されど動物的に弱い雰囲気だと、やはり本能的に忌避される事が多いから変えられる部分は変える。
発声と表情筋のトレーニング、猫背の解消、言動の自己モニタリング、健康の維持等
それでも変えられなかったのは、挙動不審とコミュ障。
またどれだけ世界が敵になろうとも、自己愛が暴走しないようにする。嫌でも他人を見下さない。まずは、ありのままの自分を愛してほしい。
ひねくれて相手か自分が苦しむ形で復讐したら同じ穴の狢だと思う。
精神か人格を壊さない自然な範囲で社会に適合する。他者とマニュアルをサンプルデータとして、機械学習に近いプロセスを踏む。個人的には自然な雑談能力と柔軟性はカバーが難しい。
幻聴か実際の声か冷静に判断し、仮に見分けられなくても衝動に移さない。
目標の達成
人間は目標を繰り返し立てていかないと生きる意味を失ってしまう。
勿論達成したときは喜べるが一時的だから、目標が常に達成され続けるようなものをいくつか持った方が良い。
自分のやりたい事は能動かつ直感で見つかる。トキメキを感じて、いつの間に1000時間続ける事ができたらそれがまずは才能。
1日2時間の2年でだいたい1500時間。
僕が考える一番良いマインドは、嘘でも努力と奇跡と自分自身を信じてみる、されど現実には足をつける。
他人と相対化して凹まず、冷静に分析し、過去の自分自身を超える。
主体的に手を動かす、考え続ける。膨大なインプットとアウトプット、分析が凡人にできる最大のソリューション。
また、清濁併せ呑んで世界を広く見る。見ている視野が広く深ければ才能やイノベーションの鍵は見つかりやすい。
しっかり目標や理想像は決めておくと、方針が立てられる。
目標としてなる未来から逆算して、小さなチェックポイントを何個も作る。達成の為に何をどれくらいやれば良いか、進捗は遅れてないかフィードバックもしやすい。
今しか見てないと、長期的に見て損するから数年後までは見通しを立てる。
結局、一人で可能な事は少ないから他者との協力や貢献が間違いなく必要になる。これは自分自身がどれだけ有能だろうとそうだし、頼り合う存在がいなければリカバリーや課題解決も難しい。
長期的に見れば、劉邦みたいな人物の方が成功すると思う。
言い換えれば一人だと自由がそれ程広くない。
ただし自由とは縛りが一切無いことではない。むしろ自分で自分の望むところへ縛り付けるための権利である。
放っておくだけでは使えず、何かにベットしなければ価値は生めない。それができるのは自分に合った場所。
理想的なコミュニティの繋がりを適度に複数持っておきたい。
自分自身の信念も大事。
信念とは僕はこうやって生きたい、という個人的な祈りと信条。
強い自分と意志はここから現れる。
自分にとって何が最重要で、何を避けたいか。
そして自分は何者か。それを明確にすれば自分と相手側両方が動きやすくなる。
成功すれば皆で喜びを分かち合いたいし、失敗するのは当たり前で、その当たり前にある今の幸福をずっと大切にしていたい。
明日死んでも良いように毎日行動する。
僕は死そのものよりも、死に向かいながら本能が生きようとする際の苦痛と、輪廻転生が必ずしも担保されるか分からない点の方が恐ろしいと思う。
せっかく考えて成功しても1度それを止めてしまえば再び転落するから、ずっと謙虚に行動し続ける。卑屈とはまた違う。
僕の幸福が再び始まるまで
ターニングポイントで言えば3つあった。
中2-3は人生で一番楽しかった。夏はよくプールで遊んで、冬は当時流行ってたゲームを皆で遊んで、成績も部活も順風満帆な方だった。
だからそれまでは幸福を知らずとも幸福な、ある意味動物だった。
今でも輝いて見える思い出。
高3に入ったころから他人の話に繊細になり始め、自分の目線や表情、挙動を意識している内によく分からなくなって嫌われ始める。
思考パターンも相当悪かったから、一々悩んで勉強に手がつきにくい状態で受験に望んだのもあり、第三志望まで全部落ちた。
その時いじめっ子が本気で喜んでた。
そんな奴が僕より幸福そうな人生だからルサンチマンを抱かなかった訳が無い。
たまたま音楽を作る事に憧れてたから心機一転、大学入ってから音楽と創作をはじめて、自分の存在と価値を肯定しようと思った。
去年が一番不幸な時期で、まず4月は肺に穴が空いて手術した。
術後1日はずっと動けないほど痛くて2時間しか寝てないし、死生観まで変わった。それから死を意識して行動するようになり始めた。
夏-秋に掛けて陰口の幻聴が酷くなり、半年くらい吐き気で満足に食べられなかった。実際にも言われてた。
秋から冬には僕の世界からアイデアが消失して、半年近く作品が作れず、大学の創作サークルの人とも馬が合わなくなった。大学の友達は完全にいなくなった。
そこで幸福とは何たるか考え始めて、今がある。
1度心身を崩して以降、幸福は努力するものになった。
考えた幸福の定義を全て満たすのは意識していても難しいがやるしかない。
生きてる時間なるべく全部幸福にできたらいいが、健康は想像以上に難しい。
仕事を通じて社会をよくする事、創作で人に影響を与える事、現実に近い世界を旅する事、健康を維持する事が絶対に必要。
幸福であるために
僕の作品は僕の生き写し。
20年生きた内で培った全ての知覚と経験であり、過去の不幸を全て糧にする一つの方法。
僕の詩で愛をやって、どこかで生き続けたらそれが僕の意義の一つで、永遠で。
僕にとっての有意義をやりつくした先、愛に囲まれて終わるのがハッピーエンドだ。
自分含めた僕らの悪意は全部ないフリをしたい。
時々喉から刃が出るぐらい全てめちゃくちゃにしたい時もあるし、情念が強いという意味で僕は相当攻撃的だが、それでも上手く誤魔化して良い事だけに使いたい。
シリアスな話なんて居場所が無く、創作でしか晴らせないからやるしかない。
本当に幸福を理解するなら、まずは不幸を理解しなければいけない。
だから刺さらない人にはどうせ刺さらないがそれで良い。
全ての生き物は自分自身が幸福である為に生きている。本能として当然だし、もっと言えば良い死に方を選ぶ為に生きている。
幸福。それに形は無いけれど、ベースとなる部分はある程度共通していて、残りのパーツは自分自身の胸の内に必ず眠っている。
僕たちがずっと幸福である為に、一般的には主体的に歩きながら考え続けるしかない。
その上で自分なりの最適解を見つけ出して欲しい。
変化を嫌ってはいけないし、いつか死ぬ事から目を背けてはならない。
もし今、偶然にも不幸を知れてる人達はどうか道を外さないで欲しい。どんな人も必ず密かに応援してくれる人はいるから。
声のデカい呪いばかりに気を取られて、闇に染まってしまぬよう、変わらない為に変わり続けていきたい。
こんな不幸ばっかが目に付く世界だからこそ、僕らの描いた希望の欠片が一際輝いて見える。
暗い世の中だけどせめて僕らは恒星になって、それが一周回って世界を丸くする。
楽しんでいこうかこの期限付きの地獄を。
"だいたい幸福は意思だ"