意志ではなく環境を選ぶ
最近、Duolingoを続けている。言語を勉強するアプリだ。最近と言っても連続162日、つまりもうすぐ半年だ。クイズに答えるとEXがもらえる。リーグの中で競い合いながら、一週間のポイントで昇格や降格をしていく。トップリーグのダイヤモンドリーグへの在籍は、7週目になる。降格の恐怖と昇格の喜びで勉強が続く。いわゆるゲーミフィケーションである。
Duolingoのゲーミフィケーションは、よく考えられている。語学の勉強はどうしても単調な繰り返し作業が多くなる。毎日続けようと「決意」しても、なかなか続かない。意志の力(Willpower)というのは有限で枯渇するのだというのは、ロイ・バウマイスターらの研究でも明らかになっている。できるだけ省エネ運転で行くほうがよい。ゲーム仕立てにすることで、このWillpowerを浪費しなくてすむのである。
私は朝起きると、目覚まし代わりにDuolingoをやるようにしている。400EXを目標に20分ほどやっていると、頭が冴えてくる。単語あわせのゲームや、リスニングクイズ、スピーキングなどを一通りこなすと、すっかり頭が起動するのである。頭のラジオ体操である。Willpowerを浪費するというより、エンジンをかけてWillpowerを充填するくらいのイメージでこなしている。
Duolingoが続けられるもうひとつの仕組みが、友人とのつながりだ。お互いにフォローすることで、励まし合ったり、刺激し合ったりできる。私は、大学院の学生たちともつながっているので、いちおう「先生」と呼ばれる立場上、怠けるわけにはいかない(笑)。実際には誰もそんなこと気にしていないのだが、ちょっとしたプライドが、継続につながっている。
面白いのが、人によってプレースタイルが違うことだ。私の場合、ダイヤモンドリーグに残留するのに必要十分な一日400EXを、コツコツと続けるスタイルだ。400EX達成したら、もう少しできそうであってもやめる。グラフは横一直線だ。
ところが、このグラフが乱高下するパターンの人もいる。あるときは1000EXで、あるときはほぼ0。気分によってやったりやらなかったりということなのだろう。調子に合わせてプレーするのは理にかなっている部分もあるだろう。ただ個人的には、コツコツ、安定してやりたい。昔アメリカでゴルフをやっていたときには、すべて7番アイアンで回った。そういう性格ということだ。
この記事の結論は意外なところに着地する。要は、自由意志というのを信じていないということだ。意志は環境に左右される。哲学でいえば、構造だ。その人を取り巻く構造が、その人の振る舞いを決める。しかし、どのような構造の中にいるのかということは、自分で選べる。自分の選択を意志のレベルではなく、環境や構造のレベルにもってくることで、結果的に「半年も継続する強い意志をもっている」かのように振る舞っているのである。
今日はうっかり、500EXやってしまった。「Duolingoをやりすぎないように」という自制が必要なほどに続けている自分を見ている、もうひとりのメタな自分がいて、そいつは性格的にちょっとやばいと思う。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授