文化財指定の新しい観点
昨日は、大分県文化財保護審議会が行われた。申請のあった文化財について、その文化財が県指定にふさわしいかを議論し、答申する委員会である。通常は、仏像や建造物、古文書、民俗芸能、天然記念物の樹木や地質などの各種専門家が参加し、その専門的見地から、対象となる文化財を調査したり、コメントする。ただそうした文化財の専門を持たない私は少し立ち位置が違い、文化財活用の文脈でコメントをしている。
ところが、先日も少し書いたが、今回初めて文化財調査に入ることになった。具体的なことをはここにはかけないが、ある民俗芸能を無形文化財の指定・選択とするかという調査である。個人的に能をやっているということのバックグラウンドや、地域活性化の文脈での評価も必要であろうという判断だった。もう何年も参加する中でようやく今回、調査に貢献できて、正直ホッとした気分でもあった。
そこでの所見では、おそらく通常はコメントしないような内容を書いておいた。あくまで一般論としてここでは書くが、文化財に指定するということの影響について、である。この審議会ではあくまで、指定に値するだけの文化財としての価値があるのかという議論が中心である。しかし、民俗芸能のような人の関わる無形文化財では特に、指定をすることによる影響も考える必要があるというのが、私の考えだ。
指定されればもちろん、指定された芸能に関わる人にとっては自信になり、誇りとなる。将来に向けてその芸能を継承していこうという大きなモチベーションにもなるだろう。また、周りもその価値を認め、環境も整うだろう。芸能は演じる機会がなければ継続は難しいが、それが県によって重要な文化財だと認定されれば、演じる機会も増える。よい影響ばかりのようにも思える。
しかし、指定されることでのデメリットもある。指定されると、これまでのやり方を変えることはしづらくなる。そのままのかたちで継続することが暗黙のうちに求められるからだ。しかし、芸能というのは生き物だ。室町時代から続く能は、かなり忠実に当時のやり方が継続されている芸能のひとつであるが、それでも上演時間から推測するに、当時はもっとテンポが速かったと想定される。それが、観客の要求や上演者の表現上の追求から、どんどんゆっくりとなっていったのである。
昨今、生きた文化遺産(リビングヘリテージ)という概念が提唱されている。伝統的な生活様式などの中に組み込まれ、生活の中に息づいている文化などは、このリビングヘリテージと呼ばれる。こうした生活に根付いた文化は、生活から切り離されて「冷凍保存」されるべきではなく、変化することも許容されることになろう。文化的景観の中には、「有機的に進化する景観 (Organically Evolved Landscape)」という概念があり、変化が前提となっている。具体的には農業や産業、信仰などに関係する景観で、人の関わりによって進化していくのである。こうしたリビングヘリテージを指定したらどうだろうか。変化を禁じたとしたらどうであろうか。
これは指定に伴う悪影響として、ありうることだ。文化財保護審議会として、そうした悪影響の可能性まで想定したうえで、指定を議論するということが、実は求められているのではないかというのが、私の仮説だ。指定は、もともと文化財を保護するための制度である。その制度が生き生きとした文化の生命を絶ってしまうとしたら、それは本末転倒だろう。指定というのは、文化財が保護されるための環境を構成するひとつの要素でしかなく、その環境の設計、いわばエコシステムという観点からの指定が求められるのだ。
ちいさなことだけれども、こうした新しい指定のありかたの予兆を感じながら、文化財保護審議会に関わっている。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
日本ビジネスモデル学会 BMAジャーナル編集長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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