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娯楽としての神楽の可能性
昨日、御縁があって大分県の重岡岩戸神楽を見る機会に恵まれた。前日の雨とはうってかわって晴天に恵まれ、日中は汗ばむ陽気の中、神楽が執り行われた。この神楽が、日常の生活にしっかりと溶け込んでいて、まさに生きた伝統芸能を目の当たりにする思いだった。
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神楽というと、今では観光客向けに神社で行われるものも多く、また神社での奉納神楽というかたちで行われるものが多い。しかし、九州の高千穂などでは、神社ではなく家で行う神楽、家祈祷(やぎとう)として行われている。大分県の中山間地域で行われているこの重岡岩戸神楽も、この家祈祷での上演が多く、この日も無病息災、古希祝いとして行われた。その家の田んぼの中に設置された舞台で、背景も田んぼ。神楽の起源の一つである、田の神の招来にふさわしい舞台であった。
最初は神事色の強い「五方礼始」から始まり、「五穀舞」、子どもたちも大喜びの「柴引」、真剣で綱を切る「綱切」、最後は1時間20分の大作である「八雲払」など、6時間を超える上演があっというま。途中、何度も花もちまきが行われ、お餅やお菓子を競って拾い、多くの人が楽しんでいた。地元ということもあって顔見知りも多く、観客から「もうちょっとやれ」とか「いいぞ」なんていう声もかかったり、観客が舞台に上がって一緒に舞うなど、地元に愛されていることが伺い知れた。
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この重岡岩戸神楽は、大正10年に発起され、翌年に伏野神楽として設立、その後市町村合併をきっかけに重岡岩戸神楽となった。夜神楽は一般に33番の演目があるのだが、最近その全上演も果たし、今では数少なくなっている33番すべてを演じられる神楽となっている。その上演も24年ぶりだったそうで、33番の演目を書いた書物や当時の動画が残っていたこともあって、復活させることができたという。33番やるとなると、3日がかりの上演となるため、そう簡単に行う機会に巡りあわない。今回の家祈祷でも、本来は夜12時まで実施するところを、主宰者の希望もあって夜7時に終了する、短縮版でもあった。
神楽は、神への奉納であると同時に、人々の娯楽である。古来のやりかたを残しつつ、同時に観客の要請にも従っていくバランス感覚が求められる。重岡岩戸神楽は、荒神などの髪を振りかざす「しゃを切る」動きに特徴がある。ほかの神楽に比べて、かなり強く振るのだ。おそらく、観客への強い印象を残すためであろう。能や歌舞伎の「石橋」の獅子のようだ。エンターテイメントとしての精度をあげていくことによって、地域の人達が楽しめるという家祈祷としてのニーズに応えようとしているのだろう。
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神楽の起源はさまざまある。さきほども触れたように、荒々しい山の神を、田の神として迎え入れて、その力でもって五穀豊穣を祈願する祭りは、そのひとつである。山の神は荒神として、鬼のような形相でやってくる。その荒神をうまく接待できなければ、秋の収穫はおぼつかない。荒々しい自然との共存の意識が、神楽に象徴されている。そこに、神道の岩戸神話が重なっていくことによって、岩戸神楽が生まれている。神楽の起源が「岩戸隠れの段」にあるというのは、吉田神道によって作られた物語である。実際には多様な背景を持っており、それこそ縄文由来の信仰から、記紀神話まで、さまざまな信仰が重層的に重なり合っているのが神楽だ。
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そしてこの重岡岩戸神楽のように、明治から大正、昭和初期に、全国各地でさまざまな神楽が始まっている。これは、明治政府が神道を国家の中心に据えたこととは密接に関係している。また、明治の神仏分離令によって神楽が宗教者だけでなく、民間に開放されたことも大きかった。そしてなによりも、当時の民間の娯楽の一つとして、人々が熱望したことがあるだろう。今回、その当時の熱量をそのまま感じられるような熱演に、すっかり魅了された。そしてなにより、このイベントを楽しみに地域の人が集まり、コミュニティが形成されていく様を見て、伝統芸能の持つ現代における可能性を感じた次第だった。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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小山龍介のビジネスモデルノート
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