シアスター・ゲイツ展 アフロ民藝を読む
現在、もっとも影響力のあるアーティストのひとりとされるシアスター・ゲイツの作品群から学ぶことは、多岐にわたる。そのひとつの糸口となるのが、彼が自身の作品について語った「物としての本質があり、概念的な基盤があり、そして社会的で精神的な次元がある」という言葉である。これは彼の作品だけではなく、工芸作家が生み出す民藝もそうであり、また企業が生み出す製品にも当てはめることが可能である。あらゆるものは、「物としての本質」だけでなく、「概念的な基盤」や「社会的で精神的な次元」を内包しているのである。わかりやすく言い換えれば、製品とは、物としての特性を生かした価値をもち、またその価値は価値としてみとめるための諸概念に支えられており、またそれらとはまったく異なる精神的な意味を持っているのである。
精神的な次元
社会的な意味としては、黒人解放運動の影響はすぐに気づくところである。ブラック・イズ・ビューティフルというスローガンのもと、今までネガティブなものとして捉えられていた肌の色を美しものと捉える大きな概念の転換が試みられた。その運動をシアスター・ゲイツは、振り返り、新しい形を与え、今に再現する。黒い陶芸作品や、黒人たちの労働の象徴である黒いタールによる作品は、文字通り美しい黒によって表現されている。ここには、名も無い黒人たちの労働により生み出されたものへの強烈なリスペクトが込められている。
そのゲイツが出会ったのが、常滑の陶芸であった。常滑は民藝の地でもあり、江戸時代までは手作業による食器や瓶などが生産されていた。しかし明治に入ると機械化が急速に進められ、さらに大型の土管や建築資材なども生産されるようになった。黒人たちが生活インフラを支える労働に従事した姿と、常滑の産業の様子は重なるところがあっただろう。西洋の陶芸と異なり、不完全なものに意味を見出す民藝的なアプローチにも、ゲイツは共感を覚える。そこから常滑に足繁く通って、自家薬籠中のものとする。
しかしこれは、意地悪な見方をすれば、強烈な地場をもつ「黒人解放運動」に関わるブラックアートの作家としてだけで括られることを、日本の民藝を使うことで逃れようとしているようにも見える。しかし、展示全体の印象としてそのような文化盗用的な側面を感じることはない。これは、ゲイツが精神的な次元において、常滑の民藝と共鳴しているからだろう。本展示の冒頭は、スピリチュアルな空間展示からスタートする。そこでは、表現された物としてレベルではなく、また「反骨精神」といった概念レベルでのものでもない、社会的、精神的な次元での共鳴が捉えられている。アフロ民藝を、単なる物としての表層的な類似性、概念的な類似性にとどまらないのである。
この点において、たとえばSDGsのような取り組みの、ある種の軽薄さに気付かされる人もいるだろう。サステナブルな世界を構築するための17のゴールは、もちろん重要なものであるが、それが精神的な次元まで共鳴するような取り組みのできている企業は、どれほどあるだろうか。ビジョン、ミッション、バリューという言葉はすっかり定着したものの、そこにはあくまで企業の機能的な側面ばかりがフォーカスされているように見える。これから新しい時代の企業のあり方を考えるうえで、企業活動を精神性の次元で捉えることが重要になってくるだろう。
都市の記憶、民藝の記憶
そうした精神性の次元とは、どのようにアクセスできるものなのだろうか。そこで重要となるのが、土地の記憶である。シアスター・ゲイツの作品は、美術館に展示されるようなものにとどまらない。彼は、シカゴの黒人居住区であるサウスサイド地区で、40軒以上の廃墟を改装、地域コミュニティの再生にも取り組んでいる。本展示でもパネル展示というかたちで、彼の手掛けたプロジェクトの一部が紹介されている。そのプロジェクトは常に、過去の歴史、過去の記憶と密接に結びついている。精神性というのは、その土地の記憶から生まれてくるものなのである。
その意味で、ヤマグチ・インスティテュートのプロジェクトは興味深い。山口庄司と名付けられたひとりの架空の陶芸作家を主人公に、日本とアメリカをつなぐ物語を、ゲイツは大胆に紡いでいく。完全なフィクションでありながら、いやフィクションだからこそ、歴史を捉え直すことの本質が浮かび上がってくる。我々は、必ずしも歴史的事実のみ受容しているわけではない。むしろそこに、さまざまな物語を付与しながら理解し、記憶している。そしてゲイツは、人々の心に残る記憶を作品としている、と言ってもいいだろう。
展示には、民藝の歴史、黒人解放運動の歴史、そしてヤマグチ・インスティテュートの営みが並行して記載された年表が展示されている。ここから読み取れることは、同時代的に、民衆の声なき声が可視化され、そこに価値が見出されていったということである。そしてこの年表は同時に、シアスター・ゲイツの取り組みもまたこの歴史の中に取り込まれていくことを示唆している。
こうした記憶の問題は、民藝とも密接に関連している。民藝についての説明は別紙に委ねるが、そこで重要となるキーワードが、他力である。他力とは浄土仏教で特に強調された教えで、人は自力で悟るのではなく、阿弥陀仏の救済の力によって悟るのだという考え方だ。悟りだけでなく、民藝表現もまた他力によって成り立っている。民藝の技術や表現は、過去から連綿と受け継がれてきたものである。「巨人の肩の上に立つ」という言葉があるが、民藝もまた、過去の多くの人々の営みを抜きに語ることはできない。シアスター・ゲイツもまた、過去の黒人解放運動の恩恵を受けるひとりであることは、もちろん自覚的であり、だからこそ過去の黒人アーティストへのリスペクトを欠かさない。と同時にこのことは、自身もまた未来のアーティストにとっての他力となることを示してもいる。記憶はこのように、他力の記憶でもある。シアスター・ゲイツは都市に残る黒人解放運動の記憶を、そして民藝は地域に残る技術伝承の記憶を保持しているのである。
植民地主義の超克
ゲイツと民藝は、このようにさまざまな共通点がある一方で相違点もある。たとえば、ゲイツは、黒人陶芸家のデイビッド・ドレイクの器を展示するが、その器にはドレイク自身の銘が入っている。また、彼の父によるタール葺きの屋根による作品には、「DAD」と書かれている。さらに、彼のコレクションである日本酒の徳利には「門(ゲイツ)」のロゴが印字される。このことは、柳宗悦が指摘した民藝の特徴の一つである無銘性とは真逆のものである。民藝の世界では、自力ではなく他力で作られた器に、個人の名前を刻むということは、慎むべきことでさえあったかもしれない。しかしゲイツは、あえて銘を打つことにこだわった。
それはなぜか。黒人が自らの名前を陶器に刻むことが、白人によって禁止されていた歴史があるからだ。ゲイツにとって銘は、特別な意味をもつ。銘を打つことはそのまま、黒人解放運動の歴史につながっていくのである。
このことは、柳の民藝運動が持つ植民地主義的側面を浮かび上がらせる。柳は朝鮮の食器を民藝的観点から高く評価し、また大日本帝国による朝鮮支配のやりかたに反対したが、一方でその立場はあくまで日本であった。柳が朝鮮の器を見るときに、植民地主義的なまなざし−たとえば欧米の芸術家がタヒチをみるときに、そこに純粋さや素朴さを見るような―がまったくなかったとは言い切れないだろう。また、柳自身はインテリ層であり、その立場から民藝の価値を見出すというところに、違和感も拭い得ない。黒人解放運動が、黒人に寄る主体的な活動であったのに対し、柳の民藝運動は、日本のインテリ層である柳たち日本人、バーナード・リーチなどの外国人による運動だったということは、大きな違いであろう。
展示の最後にはディスコ空間を作り、そこで音楽とお酒を楽しむという設えをシアスター・ゲイツは、こうした植民地主義を乗り越えるアプローチとして、その場を設定したのかもしれない。神聖な空間から始まり、最後にはカオティックなディスコ空間としてのアフロ民藝を置いてみたところに、シアスター・ゲイツの戦略性を見ることもできよう。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール教授
京都芸術大学非常勤講師
博士(芸術)、MBA
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