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ニュードキュメンタリーからアレック・ソスへ

今週から東京都写真美術館にてアレック・ソス展が始まった。今回は、「部屋についての部屋」というタイトルで、室内撮影の写真を中心に展示されているという。私自身はまだ見ていないが、一旦、このアレック・ソスについてまとめておきたいと思う。

アレック・ソスは、2004年に出版した『Sleeping by the Mississippi』で高い評価を得て、今では現代を代表する写真家のひとりとなっている。アメリカの原風景のような村や人々を撮影しながら、それが、いかにもという図像の枠に収まらない、パーソナルなものがにじみでる写真だ。もっとも有名な写真のひとつである模型飛行機をもつ男を撮影した《チャールズ、ミネソタ州ヴァーサ》(2002)は、そのひとつの典型だろう。

アレック・ソス《チャールズ、ミネソタ州ヴァーサ》(2002)


この写真は『Sleeping by the Mississippi』に収められ、そのタイトル通り、ミシシッピ川流域をロードトリップしながら撮影されたものである。ここには、理想化されたアメリカではなく、また社会批評的な視点で切り取られたアメリカでもない、ソスが個人的に出会った個人的で、主観的なアメリカが写し取られている。

この写真への理解を深めるためには、1960年代のニュー・ドキュメンタリーの流れを知っておくとよいだろう。ニュードキュメンタリーとは、1967年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された「ニュー・ドキュメンツ」展をきっかけに注目を集めた新しい写真表現の流れだ。そこでは、ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィのグランドが取り上げられたが、特にダイアン・アーバスはかなり直接的な影響を見て取れる。

ダイアン・アーバスの有名な一卵性双生児の写真は、違和感を感じさせ、見るものを不安にさせるなにかがある。それは直接名指しできない、つまり記号化されないものであり、アーバスの類まれなセンスを感じさせるものだ。つまりここには、アーバスの極めて個人的で主観的な視点が織り込まれており、その視点から、平凡な日常の割れ目から顔をのぞかせる非日常が撮影されているのである。

ダイアン・アーバス《1967年ニュージャージ州ローゼルの一卵性双生児》(1967)

それまでのドキュメンタリーが、社会問題を取り上げた、客観的で特別な瞬間を捉えたものであったのに対し、ニュー・ドキュメンタリーはアーバスのこの写真のように、主観的で、日常的、そしてイデオロギーの枠組みの囚われないものであった。アーバスはその後、アウトサイダーな人々を撮影し続けることになるが、彼らの日常と、そこから一瞬垣間見える非日常を捉えようとしていた。

アレック・ソスの『Sleeping by the Mississippi』は、今ならトランプ大統領の岩盤支持層と言えそうな白人貧困層を撮影しながらも、そうした断絶をことさら強調することがない。模型飛行機を大きな大人がもっている、違和感のある写真には、間違いなくアーバスからの流れを感じさせる。ソスは、フォトジャーナリストグループであるマグナム・フォトに所属しているが、そのことも、彼がドキュメンタリー写真の系譜に自身を位置づけていることを物語っているだろう。

一方、アレック・ソスの作品には、彼独自のアプローチもまた明確に見て取れる。アーバスがアウトサイダーに焦点を当て、彼らの異質性を強調したのに対し、ソスはより内省的で詩的な視点を持ち、被写体の生活にそっと寄り添い、その奥に潜む個人的な物語を引き出す。彼の写真は、人々の孤独や疎外感を映し出しつつも、それを冷たく突き放すことなく、時にはユーモアさえ感じさせる温かさをもって描かれている。

たとえば、彼の作品『Niagara』では、ナイアガラ滝という象徴的な場所を舞台に、人々の親密な関係や愛のかたちをテーマにした写真が撮影されている。ナイアガラ滝は、新婚旅行のメッカとして知られている一方で、別離や失恋の舞台ともなり得る場所だ。このシリーズでは、ソスは単なるロマンティックな物語ではなく、恋愛や結婚、別れといった感情の複雑さを、被写体の表情や周囲の風景を通じて静かに描き出している。

アレック・ソス《メリッサ》(2005)

アーバスとの違いは、ソスが撮影する被写体との距離感にある。アーバスは時に、観る者を居心地悪くさせるほど近づいていたが、ソスはある種の距離を保ちながら、観察者としての立場を強調する。その距離感は、彼の被写体への共感や理解を伝えると同時に、被写体の内面が完全に明かされないまま残るのである。

この点において、アーバスはある種、以前のドキュメンタリーの作法を残していたと言える。そしてソスはそこからさらに一歩、ニュードキュメンタリーを推し進めたと評価することも可能だろう。そこには、アーバスのもたらしたドキュメンタリーとしての強烈な印象ではなく、内省的で叙情的な深みが感じられるのである。

東京都写真美術館の「部屋についての部屋」展も、こうしたソスの個人的な視点がより明確に表れる場所となるだろう。室内というプライベートな空間の中で、彼がどのように人々の物語や感情を描き出しているのか、そしてそれがどのようにして私たちの生活や社会への新たな視点を提供してくれるのか。今から楽しみである。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師

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