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言語にまつわるエトセトラ

名付けの問題は、なかなか悩ましい。昨日は、「構造的ロジック」という言葉について、悩んでいるという話をした。このことを書こうと思ったきっかけが、その日の昼に、とある打ち合わせで、やはり「呼び名」の問題にまつわる話が出たからだ。

個人的には、「縁起的ロジック」とか、もう少し正確な言い方であれば「レンマ的知性」みたいな言い方もしたくなる。中沢新一が、山内得立の著書『ロゴスとレンマ』で提出した概念を引き受けて、『レンマ学』という本を著しているが、山内の書名にもある通り、「ロゴス」と対比しうる概念として取り扱われている。おおざっぱに説明すると、ロゴスは因果関係にもとづく論理的思考であり、レンマは直感的に全体を捉える非西洋思考である。

ただ、これを対立するものと言うよりは、補完的関係にある。たとえば、中沢はロゴス的論理と、レンマ的イメージとが組み合わさったものが、言語だという。中沢の言葉を引用すれば、「ロゴス軸とレンマ軸の直交補構造」なのだという。

これだけだとわかりづらいので、少しだけ中沢の議論を紹介すると、人間の行う象徴行為は、言語の場合、「併合(Merge)」と「移動(Move)」というふたつの最小原理からあらゆる文が生成されるという。このふたつがそれぞれ、華厳学の「相即」と「相入」に対応する。引用してみよう。

「法界」に内蔵された「相即」がアーラヤ識内の言語の構造に注入されると、語を他の語に重ねる「併合」の過程が起こり、それは「メタファー」の能力として文に現れる。「相入」は「移動」の過程を起動させて、「メトニミー」の能力となる。ここにホモサピエンスとしての人間に特有な「喩的」言語が発生する。それまではどの生物もコミュニケーションのためにある種の「言語」を用いていたが、そこにはまだ「相即相入」の原理が十分な自在さをもって組み込まれていないので、表現と内容が分離していなかった。そのために彼らの「言語」には象徴能力が欠けていた。
 華厳学の言う「理事無碍法界」の様態が強く「言語」に働きかけることによって、人間の言語は発生したのである。

中沢新一. レンマ学 (pp.283-284). 講談社. Kindle 版.

中沢がやろうとしているのは、サピエンス全史でハラリが、認知革命と呼んでいるものの発生原理を明らかにすることだ。認知革命のおかげで、「ライオンはわが部族の守護霊だ」と言う能力を獲得したホモ・サピエンスは、150人の認知の限界を超えて、数千、数万、数億の国家をつくりあげることができたのである。

この中沢の議論を踏まえると、「構造的ロジック」というのはいかにも中途半端だ。ロゴス的知性によりすぎていて、ものごとを分割せずに流動的に捉える「相即相入」のニュアンスが決定的に抜け落ちてしまう。ライオンはわが部族の守護霊だ、と信じる神話的知性が、「構造的ロジック」のなかには、入り込みにくい。「構造的」というところに入れようとしてはいるものの、やはりこの言葉だけでは、鉄骨の骨組みのようなものをイメージしてしまい、流動的な知性のはたらきを想起しづらい。

しかし、だからといって「縁起的ロジック」や「レンマ的知性」という表現が適しているわけでもない。これらの言葉は、それ自体が中沢新一や仏教思想の背景を知っていなければ、一般的な文脈で理解されにくいからだ。特に「縁起」という言葉は、仏教用語として特定の文脈で使われることが多く、その普遍的な性質を示すには限界がある。

ただ、それでも「構造的ロジック」という言葉の違和感が気になり続けるは、中沢が言うように、言葉が表向きの意味を伝えるだけでなく、「喩的」言語としてさまざまなニュアンスを伝えるものであり、その喩的レベルでズレがあるからなのだろう。

ということで、これは言語にまつわるエトセトラなのであった。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
日本ビジネスモデル学会 BMAジャーナル編集長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師

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