文章は遺伝である
「どうやったら文章がうまくなりますか?」という質問に、「遺伝だから、まあがんばって」と答えた村上春樹の木で鼻をくくったような回答が、実は科学的根拠に基づいていることを知って、心底驚いた。運動神経のよい子供の親は、たいてい運動神経がよい。遺伝だ。音楽が得意な家系はやはりある。遺伝だ。私はお酒が弱い。これも遺伝。そうした遺伝リストに、文章を加えるべきだというのだ。
私の文章は、自己認識としては、長宗我部元親の有能な部下レベルだ。競争の少ない地方では無双して四国統一を成し遂げるものの、全国レベルでは太刀打ちできなかった長宗我部の部下は、結局、全国制覇の軍団には加われず、地方に放置される。全国統一するときには、どこに放置したのかさえ忘れ去られる。四国統一ではあれだけ重宝したのに……。『信長の野望』をプレイした人であれば、70くらいの知力、武力の武将のこうした悲哀を、よく知っているはずだ。
その文章力は、しかし親譲りだとしたら、卑下するのは大変失礼な気もしてくる。ずっと先祖を遡れば、きっと文章のうまい人もいたはずだ。そのDNAを否定するのは、私の問題にとどまらず、小山家の問題である。今度こそは、最後まで使える武将でいたい。小山家の名を残したい。(いや、それほど大げさな話ではない。)
よく考えてほしい。たしかに素材としての運動神経は遺伝だとしても、その後、サッカー選手としてワールドカップに出場するまでになるためには、たゆまぬ努力が欠かせない。文章もそうだ。先月から書きはじめたこの文章も、そういう問題意識からスタートした部分がある。83くらいにしたい。
83あると、全国でもまあまあ使える。『信長の野望』をプレイした人であれば、きっとわかってくれるはずだ。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授