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勝修羅物の切なさー能「八島」の解釈

この年齢になると、立場も増えてくるのだけれども、なかでも一般社団法人の理事や監事などを務めることが多くなってきた。そのひとつが、能などの伝統芸能の普及啓発をする団体「未来につながる伝統」で、今日はその能楽イベントだった。

演目は「八島」。私の師匠である佐野登先生の演技ももちろん、今回は奈須輿市語の小書付きの特別演出で間狂言で野村萬斎さんの熱演も楽しむこともできた。御年93歳の野村万作さんの公演も生き生きとしていて、なによりあの笑顔が本当に目に焼きついた。公演の最後には、一噌幸弘さんの独演のおまけ付き、冒頭には、日本画家の中島千波先生も交えたトークショーもあって年末の素晴らしい体験になった。私も、演目紹介で登壇し、佐野先生と楽しいストーリー紹介、見どころ紹介をするという大役を無事終えて、ホッとしたところだ。

今日書いておきたいのは、世阿弥の凄さだ。修羅物のカテゴライズされる「八島」は、その中でも勝修羅物と呼ばれる、勝ち軍の武将を主人公とするものだ。勝ち戦なのだから、どうしても物語は勝者を讃えるものになりかねない。

八島は、源平合戦のいわゆる屋島の戦いをテーマに、そこでの勝者である義経を主人公としたものだ。この屋島の戦いでは、あの有名な那須与一の弓の逸話がある。平家側が用意した扇の要を、波で揺れているのにも関わらず、弓で射るあの話だ。教科書にも出てくるので、知っている人も多いだろう。あの物語には、少し続きがある。

与一の腕に源平両方から賛美が送られ、平家側の50代くらいの武士が踊り始める。それをみた義経は与一に、その武士も射るように命ずる。与一はそこでも一撃で仕留め、踊っていた武士は海に転げ落ちる。義経の冷徹な面を表現する、優れたエピソードだと思う。

ただ義経のこの反応も正直、仕方がないようにも思う。その前の一ノ谷の合戦でも、決死の奇襲で勝利している。この屋島も、暴風雨の中、強い追い風に乗って上陸し、さらに深夜の行軍で奇襲を成功させている。一歩間違えれば自らの命を落としかねないこの状況で、義経は「殊に存念あり。一陣において命捨てんと欲す」と言って荒れ狂う海に漕ぎ出す。ことさら思い続けていることがある、それはこの一戦において命を捨てたいということだ、という義経の目に、平家の姿はどう映ったのか。推して知るべしであろう。

その義経を、世阿弥はどう解釈するのか。彼は、勝ち戦という修羅道に義経を突き落とす。道というのは輪廻であり、つまりそこから抜けられない限り続く、無限地獄だ。本気で向き合った義経の執念のあまりの強さがゆえに、修羅道に陥ってしまったのだ。

元来、世阿弥は敗者への強いシンパシーを持っている。勝修羅物は能全体でも三番しかない。ほとんどが敗者の情念を舞台に召喚し、鎮めようという物語構造を持つ。複式夢幻能はその装置として強力に機能し、これは世阿弥の最大の発明のひとつだ。しかし、勝ち軍の将を主人公にするとそうはいかない。ではどうするのか。

世阿弥はここで、打ち込むがゆえに修羅道に落ちるという物語にずらすのである。これは、能という芸能に打ち込む世阿弥自身をも投影している。もちろん観る者は、義経のその後の悲劇的人生を知っている。その悲劇を取り上げるのではなく、あえて勝ち戦の場面を採用しながら、しかしそこで修羅道へと転換する。

改めて世阿弥の凄さを実感する演目だった。

小山龍介

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