アメリカの空想、ソスの夢想
東京都写真美術館で行われているアレック・ソスの展示「部屋についての部屋」を見た。ちょうど、キュレーターによるギャラリートークが行われるということで、解説が始まる14時には、会場に30人以上が集まっての鑑賞となった。
展覧会のタイトルは、「部屋についての」写真を展示する「部屋」、という意味で、初期の作品から最新作まで、部屋にまつわる写真が集められている。おおよそ年代順に並べられており、その意味では回顧展としても見ることができるが、ソスとしては、これはあくまで部屋をテーマにした展示、という意識が強いのだという。
ソスにとって部屋とは、ひとことで言えば、夢を包み込む卵の殻のような存在だ。『Sleeping by the Mississippi』では、アメリカを縦断する巨大なミシシッピ川に寄り添いうたた寝するようにして、アメリカの原風景の現代的再解釈を行っていく。アンセル・アダムスのようなアメリカの壮大な風景でもなく、ロバート・フランクの『The Americans』ででてくるようなアメリカ人でもない。どこか屈折し、どこか夢見心地。そんな空想にふけっているような、そんなアメリカだ。
ソスの撮るポートレートは、その人自身がまとっている、そんな夢を映し出している。ソスは撮影する際、大型のカメラの設置に時間がかかるため、被写体となる人に夢を書いて待ってもらうという。第一の部屋に飾られているガタイのよい男の夢は「少しでも長生きがしたい」というものだった。しかし、この撮影の数年後に亡くなってしまったのだという。彼の夢を書いた紙はうっかりテーブルに置かれたまま撮影されている。彼のソスの叙情性は、不安定で儚い幻想が、不意に崩れてしまうようなバランスの上に成り立っているところから生まれてくる。
ソスの作品は、初期においては、ミシシッピ川やナイアガラなど、アメリカの地名をタイトルにしていることからも明らかなように、アメリカというトポスに立脚していた。しかしそれが第三の部屋、第四の部屋と移るにつれて、場所もアメリカから離れ、コロンビアやパリ、日本などさまざまな国で撮影が行われる。そこに映るイメージは、もはやアメリカの夢ではなく、ソス自身の夢となって現前する。今回、何枚も展示されているセルフポートレートは、そのことを強く示唆するものだろう。
この展示の最後には、美大の学生が書いたソスの肖像が、額装が割れた状態で撮影されたものが展示されている。キュレーターはこれを、「中年の危機」と解釈していた。ソスに次回作を聞いても、何も言わなかった。行き詰まりを感じているのではないか。とても素直に見ればそう言えるかもしれない。しかし、作家がわざわざ自身のひび割れた肖像を撮影してみせるのを、ストレートに受け取っていいものだろうか。
長寿を望んだことで亡くなった男性と対比させるなら、自身を割ってみせることによって、かえってソスは生き続けようとしているのかもしれない。今回の展示で、次のフェーズに向かうソスの姿を見たように思う。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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