外国人留学生との草の根のやりとり
京都芸術大学には、かなり多くの外国人留学生が来る。私がゼミ(の一部)を受け持っている修士課程でも、留学生、とくに中国からの留学生がたくさんいて、異文化交流を楽しむように教えている。ちょうど今は、1月に提出する修士論文の論文指導で、今日も3名、オンラインで指導したところだった。
面白いのが、漢字文化圏として「意味はわかるが日本語では不自然」みたいな表現が出てくるところ。たとえば、「可視化実験機能」とか出てきて、何だこれ?!となる一方で、ちょっと意味がわかったりする。同じ文化リソースを共有していることの面白さだ。
日本語があまり上手ではない学生もいて、そうすると普段のゼミでは、正直何を言おうとしているのか理解できないときもある。しかし、面白いことに、そうした学生が文章を書いてくると、「こんなことを考えていたのか!」とそのギャップに驚かされることが少なくないのだ。
語学の問題で伝えられないだけで、実は頭の中では深い思考が働いている。そういう学生を見ると、発言だけを聞いて判断してはダメだと、自戒を込めて思う。先日の面接でも、だいたい1〜2分話を聞くだけでも、その人の知的能力が垣間見えるという感じがしてしまうのだが、そうした即断をせず、もう一歩踏み込んでみるべきなのだ。
とはいえ、そうした言語の問題があると、ゼミ指導もなかなか困難を極めるわけで、おそらく多くの教員が負担に感じるやりとりではないかと想像したりもする。しかし、自身の留学経験においても、「本当は深いことを考えているのに、バカ扱いされる」ことのショックは強烈で、ここはしっかり寄り添っていこうと思うのだ。というか、むしろそうやって発言ではなく、その内面を推論し、分け入っていくことに面白ささえ感じているのだ。
それからもうひとつ、特に中国や韓国といった、いわゆる反日教育が行われているといわれる地域においては、日本に留学にきてくれる学生たちが将来、日本と彼の国との架け橋になってくれるに違いないという、これはもう希望の光というか、小さいけれども宝石のような輝きに見えてくるところがある。
世の中にはいろいろな問題がある。その問題に対して、SNSは簡単に、自分の意見を世の中に発信できる。しかし、その多くは行動を伴っていないことも多い。それよりも、声には出さないけれども行動する人の方を、私は信用する。行動する人たちの内面の豊穣をこそ、祝ぎたい。世阿弥が声なき声を拾い上げるのも、沈黙の豊かさを知るからだ。
私自身、沖縄県のプロジェクトが終わったあと、沖縄の雑貨を扱うお店を東京でオープンし、10年近く経営をしているのも、沖縄と本土との緊張関係に対して、日用雑貨を販売するという草の根の活動で、つないでいけたらという思いがあるからだ。中国や韓国との関係においても、ゼミでの論文指導という現場での取り組みが、私にとってのリアルであり、そこで私達の未来に対してポジティブな貢献ができることを、本当に幸せに思っている。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
日本ビジネスモデル学会 BMAジャーナル編集長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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