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野田と石破

石破新総裁が最初に総裁選挙に出たのが2008年のことだから、16年越しに念願を果たしたということになる。2012年の総裁選挙では安倍元総理に敗れたが、自民党の幹事長に起用され、その後も閣僚を経験するも、2016年の第二次の安倍内閣改造で農水相の打診を固辞して以降は、政権から一定の距離を置き続けていた。8年間、表舞台から姿を消していたと言ってもいいだろう。

立憲民主党の野田新代表は、石破と同じ1957年生まれの67歳。2012年の衆議院議員総選挙での敗戦の責任を取って代表をやめて以降、こちらも表舞台から遠のいていた。そこから12年後、代表に返り咲くまでにはさまざまな思いがあっただろう。

同じように雌伏の時を過ごしたふたりが、約一年前に雑誌「週刊SPA!」で対談している。そこで、野田さんが次のように語っている。

与党に対しても、何かといえばネットで拾ったネタで追及しようとする若い議員が多い。重箱の隅をつつく質問をして失言を狙うようなやり方も横行しています。街頭にも立たず、現場に足を運ばずに、ネットやSNSに張りついてばかり。結果、言葉が劣化しつつあります。野党が揚げ足取りをするからか、与党も警戒して議論のための情報を出そうとしません。これは由々しき事態ですね。

2023年9月19・26号週刊SPA!「エッジな人々」

失言を狙うようなやり方。これは個別具体の名前が思い浮かぶわけだが、そうした劣化した立憲民主党のありかたについて、ここで歯に衣着せぬ言葉で批判している。再び立憲民主党をしっかりとした、まともな政党として復活させたいという思いがにじみ出ているように思える。

野田新代表に、久々に脚光があたったのは、安倍元総理が暗殺されたときの追悼演説だった。久々の野田節で、多くの人が感銘を受けたことは記憶に新しい。そのなかでこのようなことを言っている。

「あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。」

野田佳彦「国会追悼演説」2022年10月25日

同じ雌伏のときを過ごしたといえども、野田佳彦と石破茂ではすこしニュアンスが違うと感じるのはこの点だ。

一度、首相を務め、そこから再度代表に選ばれた野田と、初めて代表を務める石破。「あのときに、こうしておけばよかった。そうすれば立憲民主党は道を誤らなかった」という後悔に突き動かされている野田のほうが、迫力を感じる。石破新総裁はさっそく、政策のブレが指摘されているが、柔軟であることは重要だが、肝心の軸が見えてこない。ひとりの人間としての魅力をどちらから感じるかといえば、野田佳彦だ。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

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