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アートはどのように正濱漁港を変えたのか

正濱漁港の活性化プロジェクトがスタートしたのは、2017年のことだった。プロジェクトを主導した林書豪氏は、この地域の資源を可視化することからスタートした。若者たちを集めて地域を歩き、物語を発見するワークショップを行った。町を歩いて、話を聞き、それをもとに絵を描いたり、音楽をつくったりした。そこから、流れが生まれた。

当時の正濱漁港は、とても観光のできるような場所ではなかった。漁港には、船の作業に必要なものが無造作に置かれていて、観光客が歩くには危険でさえあった。そんな場所にどのような可能性を見出すのか。林氏は、あくまで現場を歩き、現場から可能性を発見するボトムアップのアプローチを取った。そのなかで、思いも寄らない成果が生まれていく。そのひとつが、漁網をつかったランプシェードだった。

漁網からインスピレーションを得て生まれたランプシェード

アートに関する誤解がひとつあるとすると、それが内発的な動機から生まれているということである。芸術家の情熱から、何もないところに、今まで見たことのないようなものが生まれる。そういうアートの神話がある。しかしそれは、かなりいびつな芸術観だ。

実際には、アーティストは何かに対する応答として作品を作っている。この場合、漁網という「もの」があり、その漁網を取り巻く「ものがたり」があり、その応答として、その技術を洗練させてランプシェードにしたのである。その洗練にはもちろん、芸術家やデザイナーの個別の身体が関わっている。しかしその出発点は、あくまで地域に眠る資源であった。

地域を案内してくれる林氏

林氏と話をしていて感じたのが、この応答力だ。こちらの話に耳を傾け、その話から話題を広げ、展開していく。今回の訪問はもともと一泊する予定だったのだが、スケジュールの関係で夜には出発しなければならなかった。次回来るときは一泊するよ、と話したら、いや三泊してくれと林氏は言った。この心地よい対話が、地域のランプシェードを生み出すのである。

アート思考のプログラムに、インプロビゼーションを取り入れているが、それはまさにこのようなやり取りの中から予期しないものが生まれてくるという体験からだ。インプロの重要なキーワードがYes, Andである。そこで起こっている状況をYesで受け入れ、そこにAndで新たなアクションを加えていく。アートの本質のひとつには、そうしたYes, Andの原則が働いているし、とても観光できないような正濱漁港が変わったプロセスでもある。

林氏が取り組んだフィールドワークは、まさに漁港の現状を受け入れるYesのアプローチであり、またそこから作品や商品を生み出し、アートイベントを仕掛けたAndが組み合わさって、正濱漁港は変わっていったのである。

ちょうどお祭りの時期で、町の至る所で儀式が行われていた

そこで前回の記事の話に戻る。こうして魅力的な場所に変貌しつつある正濱漁港に、ジェントリフィケーションの課題がもちあがってきている。地代家賃が高騰し、いくつかの店舗が撤退を余儀なくされた。そうした新たな状況にも、林氏はYes, Andで取り組んでいる。ひとつは、デ・マーケティングである。毎年行っていたイベントを、今年は行わないのだという。需要抑制のために、あえて成功していたイベントを休止するのである。

過去のイベントの数々

地域活性化に悩んでいる地域からすれば、なんとも贅沢な話だろう。しかし、これは本当に勇気のいることだ。あるイベントが成功すれば、次回はさらに良いものを、と高みを目指していくことが当たり前だと考えがちだ。しかしそれは、ある意味、人間のつくりだしたマーケットの理論である。自然界においては、まさに漁港で行われる資源枯渇を回避するための禁漁などが、当たり前に行われている。Yes, Andというスタンスで向かい合っているのは、市場ではなく、エコシステムである。林氏との対話の中で、そんな発見もした。

最後に、来年8月に視察ツアーを実施することを約束して林氏と別れた。私なりのYes, Andとして、この正濱漁港を入口として、日本と台湾をつないでいけたらと思っている。

小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授

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