工学部におけるデザイン思考教育
毎年、山形大学の工学部で「デザイン思考」の集中講義を行っていて、今年もいつもどおりいい手応えを感じている。デザイン思考とは、創造性と実用性を融合させ、問題解決や新しいアイデアの創出を行うための思考プロセスである。単なる創造性ではなく、しっかりとした実用性を持った設計を行い、また目の前の問題解決への対処療法ではなく、その原因の本質を捉えるところに特徴がある。
その起源の一つは、ピーター・G.ロウ『デザインの思考過程』にある。ロウは、建築や都市を設計するにあたって、デザイナーがどのように最適解を探し出しているのかという、極めて個人的で、内的なプロセスに焦点を当て、探り出そうとしている。私のデザイン思考ワークショップは、このロウのアプローチにリスペクトしたものだ。
一方で、デイビッド・ケリーなどが提唱する一般的なデザイン思考は、外的なプロセスに立脚しすぎているように思う。(1) 共感 (Empathize)、(2) 問題定義 (Define)、(3) 発想 (Ideate)、(4) プロトタイプ (Prototype)、(5) テスト (Test)という5つのステップはわかりやすく、これを踏めば簡単に答えが出るかのような錯覚を与えてくれる。この手軽そうな印象が、デザイン思考の普及に一役買ったのではないかと思う。ここには、アメリカのプラグマティズムの、ある意味悪い面がでている。原理はわからないが、うまくいっているのだからいいだろう、という有用性を軸にした判断だ。
しかし、もちろんそんなに簡単なものではない。たとえば濱口秀司は、アイデアの選別を最終的には多数決で決めているプロセスに疑義を呈している。この疑義の背景には、アイデアの形成過程はもっと個人的で内的なものであるはずなのに、それを外的な、目に見えるプロセスとしていることへの疑問だろう。彼は、ひとりで静かに考える時間の重要性を、ほぼ日のインタビューで指摘している。
こうした徹底したプロセスの外部化―言ってみれば、デザインの脱魔術化―は、普及させるときにはパワーを発揮するが、実際のプロセスを行うときには、むしろ足かせになってしまう。むしろ、再魔術化させていく必要があるのではないか。それが私の問題意識で、それを色濃く、ワークショップに反映させている。
デザイン思考で重要なのは、目に見えるユーザーの行動や思考の背景にあるメカニズムに対して、深く洞察していくことだ。ロウは、建築家が考えるときに、さまざまなステークホルダーから意見を聞いたあと、静かに考える時間―状況をありのままに静観し、自由に思索する時期―をたっぷりともつことに注目する。彼の関心は、このときデザイナーの中で何が起こっているかということであった。
そして、ロウがたどり着いた結論が、「デザイン行為の進行は段階を踏んで成立するというような理想的な技術は全く存在しない」ということだった。5つのステップは、手戻りがあるのだという留保はつけつつも、結局、段階を踏んで成立すると言っている。ロウは、その真逆の結論にたどり着く。私は、ロウを支持する。デザインの最後の部分は、魔術だ。
その魔術について解明しようとしたのが、ノーベル賞受賞間違いないと言われながら化学者から転向したマイケル・ポランニーだった。彼は自身の研究の思考を内省する中で、自身が問題そのものに棲み込むことによって、暗黙のうちに答えを知ってしまうという、暗黙知(Tacit Knowing)というプロセスにたどり着く。彼もまた、「5つのステップで発見ができます」なんてことは言わないだろう(当たり前だ)。
ロウのいう(私からすれば本丸の)デザイン思考を経由することによって、ポランニーに行き着く。ロウのデザイン思考が、建築や都市設計という「人」に関わる情況に向き合ったのに対し、ポランニーは化学において「自然」と向き合った。対象が異なるだけで、その思考プロセス、とくに内的な思考の動きには共通点がある。こうしたロウ―ポランニーの議論を踏まえたデザイン思考だからこそ、山形大学の工学部の学生に響くのではないかと思う。
小山龍介
BMIA総合研究所 所長
名古屋商科大学ビジネススクール 教授
京都芸術大学 非常勤講師
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小山龍介のビジネスモデルノート
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